グリーン・デイは神の恩寵を失い、2012年から罰せられるような数年を過ごした。思い上がりが度を超え、消耗を自ら招き、そして世間からの評価は暴落し、その結果としてツアーの延期、そして退屈なアルバム三部作は燃え尽きて焦土となっていた彼らの姿を露わにした。だが、マッチに火をつけていたものは、誤った方向へと導かれてしまった過剰な野心以外の何物でもなかったのだろう。グリーン・デイがゲームを制したあの頃から20年が経ち、彼らはもはや、過去に素晴らしいアルバム群をリリースしたバンドという地位で十分だと考えているように見えた。そして、グリーン・デイは、『ウノ!』、『ドス!』『トレ!』のようなガッカリするような売れなかったアルバムだったとしても、アルバムをリリースして、声明を叩きつける怪物でなければならなかった。
だが、どんなに偉大な人間の没落も贖罪を受けるに値するものだ。グリーン・デイは『レボリューション・レディオ』を手にした。グリーン・デイはもはやこのアルバムからブロードウェイ・ミュージカルを作らないだろうし、彼らの政治観や意図を紐解くための解説でもないだろう。しかし、単に楽曲集としては、2004年の『アメリカン・イディオット』以来に発売されたどのアルバムにも劣らないほどの濃密な内容となっている。『レボリューション・レディオ』のテーマについてビリー・ジョー・アームストロングは、この混沌とした時代を理解しようとするものであると語っているが、彼自身の近年の混沌とした状況についても無視されてはいない。「ワイルド・サイドの人生はどれくらい退屈なんだ?(How did life on the wild side ever get so dull?)」と、ドラッグを絶って改心したフロントマンはアルバムの幕開けを飾る楽曲“Somewhere Now”で思案し、“Still Breathing’”では自身を「初めて家に帰還した兵士/弾丸をかわして、地雷だらけの道を渡り歩いた(A soldier coming home for the first time / I dodged a bullet and walked across a landmine)」と喩えてみせる。幸運にもドラッグを絶ったことはビリー・ジョーのソングライティングの才能を鈍らせてしまうのではなく、研ぎ澄ましたようだ。
『レボリューション・レディオ』は『アメリカン・イディオット』と同様に、アメリカ大統領選挙の年に届けられた作品だ。そのため、大統領選挙に対してある程度の関心が払われていると期待されるのも自然なことだ。『レボリューション・レディオ』の過激なリード・シングルで、“Bang Bang”という扇動的なタイトルのついたこの曲は、ニューヨークでビリー・ジョーが参加したブラック・ライヴズ・マターの抗議行動にインスピレーションを受けたもので、銃乱射事件の犯人の心理に入り込んでいる(そして、事件の限定的な報道内容についてメディアを批判している)。
確かに、すべての楽曲に「お前は死んでる、俺は肥えてる/死なせてくれよ、じゃなきゃ頭を“バンバン”撃ち抜いてくれ(You’re dead, I’m well-fed / Give me death or give me head” goes ‘Bang Bang’)」のようなニュアンスが含まれているわけではない。だが、いつからかこういう描写をすることが、グリーン・デイの責務の一部になっている。
実際、もし『レボリューション・レディオ』に明らかな特徴があったら、グリーン・デイはありのままの自分たちでいることの喜びを再発見しただろう。アルバムにはあり合わせの詰め物のような楽曲も存在する。“Troubled TImes”は高圧的ですっかり忘れてしまう楽曲だし、“Youngblood”はあの忌まわしい三部作と同じような部類のものに再び陥っている。しかし、アルバムには自身が認めるよりも長い間失っていた目的と簡潔さが誤解をしようのない形で存在している。グリーン・デイはバンドとして大きくなることが必ずしもいいことばかりではないことを学んだが、その結果、時計の針を昔へと戻して、前進する道を発見したのだ。
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