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スマッシング・パンプキンズのフロントマンであるビリー・コーガンはエディ・ヴァン・ヘイレンが彼のスタジオで演奏するのを見た時のことを振り返っている。

エディ・ヴァン・ヘイレンは10月6日に長きにわたるガンとの闘病の末に亡くなっている。ビリー・コーガンはエディ・ヴァン・ヘイレンを訪ねた時のことを振り返って「宗教的な体験」だったとBBCラジオ6に語っている。

ビリー・コーガンは次のように語っている。「幸運なことに1997年か1998年くらいにアメリカにギターの雑誌があったんだけど、そこに行った時に『エディ・ヴァン・ヘイレンにインタヴューしたい』と言ったんだ。『なんでエディ・ヴァン・ヘイレンにインタヴューしたいんだい?』と訊かれたから『というのもオルタナティヴなギター・プレイヤーの世代に彼を紹介したいんだ』と答えたんだ。自分にとって彼はオルタナティヴなギター・プレイヤーで、彼はそうじゃない形で括られていたからね」

「そうしたら、エディのスタジオで4時間インタヴューをさせてもらえることになってね。2フィート前にエディがいて、彼が演奏するのを観たんだけど、言うなれば宗教的な体験とも言えるものだったよ。本当に才能に溢れていて、優しい人だったんだ」

ビリー・コーガンは次のように続けている。「インタヴューの最後のほうになって『いろんな物語が『炎の導火線』にはありますけど、まだそのアンプを持っていますか?』と訊いたら『ああ、持ってるよ』と彼は言ってくれてね」

「ゴミ箱の近くにあった隅に連れて行かれて、『これだよ』と言うから、『特別な仕様を施したという逸話は本当ですか?』と訊いたら『あれは全然事実じゃないんだ』と言っていたよ」

先日、エディ・ヴァン・ヘイレンを偲ぶ催しがほぼ50年前にバンドが結成されたパサデナで計画されていることが明らかになっている。

エディ・ヴァン・ヘイレンはパサデナで幼少期を過ごしており、彼と弟のアレックスが10代の頃にヴァン・ヘイレンの名前をスプレーで書いたアレン・アヴェニューもある。

レポートには次のように記されている。「彼の死後、パサデナは地元の人々からヴァン・ヘイレンの偉大さとパサデナとの繋がり、彼の芸術性が音楽に与えた影響を讃えるなにかをしてほしいというリクエストや提案を受けています」

レポートは次のように続いている。「ヴァン・ヘイレンとパサデナの繋がりは地元の住民にとって誇りとなっているもので、通りや路地に名前をつけたり、モニュメントを建てたりなど、複数のリクエストが寄せられているのです」

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