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フー・ファイターズのデイヴ・グロールはインスタグラムで実話を披露しており、デヴィッド・ボウイから亡くなる前に「失せてくれ」と言われたことを明かしている。

デイヴ・グロールはデイヴズ・トゥルー・ストーリーズのアカウントで、デヴィッド・ボウイとは仕事で良好な関係を長年にわたって築いており、自身もデヴィッド・ボウイの大ファンであると述べている。

「デヴィッド・ボウイは幼い頃から消すことのできない僕の人生のサウンドトラックを提供してくれた人だ」と彼は述べている。「彼の最初のライヴ・アルバム『デヴィッド・ライヴ』は子供の頃、自分の家のリヴィングでは定期的にかかる1枚だった。名曲“Suffragette City”は80年代初頭、ダサい高校のバンドで裏庭のパーティーを行う時にやった曲だった(細い首からひねり出す思春期の金切り声で「Hey Man!」というバックグラウンド・ヴォーカルをやっていたんだ)」

彼は初めてデヴィッド・ボウイを目撃した時のことを振り返っている。

「彼はその夜もステージを歩いていて(浮いていたかもしれない)、新しい人生が舞い降りたかのように感じた」とデイヴ・グロールは述べている。「子供の頃、夜空に探したスターマンのようだったんだ。自分の家の前庭に金ピカの宇宙船が停まって、平凡な郊外の生活から連れ出してくれることを待っていたんだ。それがデヴィッド・ボウイの優雅さと威力を生で見た初めての機会だった。それは驚くような啓示を与えてくれたんだ」

デイヴ・グロールはリーヴス・ガブレルの1999年発表のアルバム『ユリシーズ(デラ・ノッテ)』に収録されている“Jewel”に参加した時が、デヴィッド・ボウイと会話を交わした最後だったという。

デイヴ・グロールはデヴィッド・ボウイに映画のために一緒に曲に参加してもらえないか尋ねたところ、デヴィッド・ボウイは「それは僕がやることじゃない」と答えたという。

手紙のやりとりは続いたものの、デヴィッド・ボウイは次の言葉でやりとりを終わらせたと明かしている。「もういいだろ。決まったんだ、だから、失せてくれ」

それが冗談だと分かった時、デイヴ・グロールは安堵の溜息をついたという。「数分間、すべてを失わせるような不安から解放されたことで、全身の筋肉がゆるんだよ。リヴィング・ルームの椅子に沈み込んで、生き返ったよ。神に感謝だね。デヴィッド・ボウイが本当に失せろと思ってないことを知って、息をつけたよ(もし、そうだとしても、最高に素敵なやり方だから、よもや光栄でもあったね)」

デイヴ・グロールは新型コロナウイルスのパンデミックを受けて人々を楽しませるためにプリンスやパンテラとの逸話をこれまで明かしている。

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