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米『ローリング・ストーン』誌の報道によれば、アメリカーナへの貢献で知られるカントリー・ミュージシャンのジョン・プラインが現地時間4月6日にナッシュヴィルで新型コロナウイルスによる合併症で亡くなった。享年73歳だった。

ジョン・プラインは3月26日に新型コロナウイルスの症状を「突然発症」して入院しており、重症だと報じられていた。彼は亡くなるまで13日を集中治療室で過ごしていた。ジョン・プラインの妻でマネージャーであるフィオナも新型コロナウイルスで陽性だったことが明らかになっているものの、完治している。遺族から声明は発表されていないものの、ジョン・プラインの訃報については米『ローリング・ストーン』誌に認めている。

ジョン・プラインは1946年10月10日にイリノイ州名ウッドで生まれ、郵便配達員として働き、ベトナム戦争では兵役にもついていた。

1960年代後半に映画評論家のロジャー・エバートによるオープン・マイク・パフォーマンスの熱烈なレヴューとクリス・クリストファーソンの応援によってジョン・プラインはシカゴのフォーク・シーンで名を上げ、クリス・クリストファーソンの後押しの下、1971年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースしている。アルバムはベット・ミドラー、ジョーン・バエズ、ボニー・レイット、エヴァリー・ブラザーズにカヴァーされ、成功を収めている。アルバムの多くの曲がジョン・プラインが郵便配達員だった頃に書かれたものとなっている。

ボブ・ディランもジョン・プラインを支持した1人で、ジョン・プラインが初めてニューヨークでライヴを行った際には告知することなく出演して、ハーモニカを演奏している。2009年にボブ・ディランはジョン・プラインについて最も好きなソングライターの1人だとしており、「ジョン・プラインの曲はプルースト的な実存主義なんだよ。無限なる中西部への夢想なんだ」と述べている。

ジョン・プラインは5つの年代に及ぶキャリアで18枚のアルバムをリリースしており、2018年発表の『ツリー・オブ・フォーギヴネス』で人気を再生させている。13年ぶりとなったアルバムはキャリアで史上最高となる全米アルバム・チャートで5位を獲得している。

ジョン・プラインは音楽業界で満足のいかない体験をしたことから、アルバムのほとんどは1981年に設立された自身のレーベルであるオー・ボーイ・レコーズからリリースされている。

ジョン・プラインは妻のフィオナ、息子のジョディ、かつての結婚でもうけた2人の息子、トミーとジャック・プラインを残している。

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