パティ・スミスやブロンディ、イギー・ポップらと仕事をしたプロデューサーとギタリストのアイヴァン・クラールが亡くなった。享年71歳だった。
チェコ出身のアイヴァン・クラールは2月2日に亡くなったことがロイター通信によれば、プラハでメトロノーム・フェスティバルを開催しているデヴィッド・ゲイデッカによって発表されている。「2016年から一緒に仕事をしてきたのですが、準備してきたグランド・フィナーレは実現することはありませんでした」とデヴィッド・ゲイデッカは述べている。
アイヴァン・クラールの妻であるシンディ・ハドソンもプレスへの声明で亡くなったことを認めており、プレスへの声明はザ・フラワーズ・オブ・ヘルのグレッグ・ジャーヴィスのツイートで公開されている。アイヴァン・クラールはザ・フラワーズ・オブ・ヘルの2009年発表のアルバム『カム・ヘル・オア・ハイ・ウォーター』でベースを弾いている。声明でシンディ・ハドソンは、アイヴァン・クラールがミシガン州の自宅でガンのために亡くなったことを明かしている。彼女はアイヴァン・クラールのチェコでの最新作『スマイル』が2月28日にリリースされることにも言及している。
チェコスロヴァキアで生まれたアイヴァン・クラールは音楽のキャリアを70年代の短命のバンド、ルガーからスタートし、1973年にルガーが解散した後、ショーン・キャシディやブロンディのバック・バンドで活動した後、パティ・スミス・グループにベーシスト/ギタリストとして加入している。パティ・スミス・グループでの活動中、アイヴァン・クラールは数々のヒット曲を共作しており、1979年発表の“Dancing Barefoot”もその一つで、同曲はU2やパール・ジャムらがカヴァーしている。
1979年後半にパティ・スミスと違う道を行くことになったアイヴァン・クラールは、イギー・ポップの1980年発表のアルバム『ソルジャー』に参加している。続いてイギー・ポップの次のアルバム『パーティー』ではすべてのオリジナル曲で共作者/ギタリストとしてクレジットされている。同作にはシングル“Bang Bang”が収録されており、同曲はデヴィッド・ボウイも1987年発表の『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』でカヴァーしている。
その後のキャリアでアイヴァン・クラールは元ザ・ベイビーズのフロントマンであるジョン・ウェイトと共に共作した後、自身のバンドであるイースタン・ブロックを結成している。1993年にプラハに戻ったアイヴァン・クラールは、地元のバンドのプロデューサーを務め、2014年にはソロ・アルバム『オールウェイズ』をリリースしている。
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