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ラッシュのドラマーであるニール・パートが亡くなった。

訃報はニール・パート家のスポークスパーソンであるエリオット・ミンツによって発表されており、米『ローリング・ストーン』誌によれば、3年に及ぶ膠芽腫との闘病の末、現地時間1月7日に亡くなったという。

これまでスティックを握ってきた中でも最高のドラマーの1人と目されてきたニール・パートは、シンガー/ベーシストであるゲディー・リーとギタリストのアレックス・ライフソンによるラッシュに1974年に加入している。彼の壮麗かつ決定的なドラム・スタイルはラッシュをクラシック・ロック期でも重要なバンドの一つにすることになった。

ゲディー・リーとアレックス・ライフソンは1月10日に声明を発表しており、ニール・パートを「45年以上に及ぶ友人にして魂の兄弟、そしてバンドメイトだった」と評しており、進行性の強い脳腫瘍である膠芽腫の闘いについて「非常に勇敢だった」と述べている。

「この非常に痛ましく困難な時期においては家族がプライバシーと平穏を必要としていることを友人やファン、メディアの方には御理解いただき、尊重していただければと思います」とゲディー・リーとアレックス・ライフソンは述べている。「お悔やみを伝えたい方はニール・パートの名の下、ガン研究グループやチャリティに寄付をするという選択肢もあります。安らかに、兄弟」

ドラマーだけでなくニール・パートはラッシュの主要なソングライターでもあり、1996年に刊行された処女作で、カメルーンでの1ヶ月に及ぶ自転車旅行について書いた『ザ・マスクド・ライダー:サイクリング・イン・ウェスト・アフリカ』など、いくつかの書籍の著者でもある。

1983年には『モダン・ドラマー』誌の殿堂入りを果たしており、これは最年少でのものだった。2013年にはフー・ファイターズの紹介の下、ラッシュとしてロックの殿堂入りを果たしている。ニール・パートは2015年にラッシュからの引退を発表していた。

フー・ファイターズはインスタグラムで声明を発表しており、ニール・パートを「優しく思慮深く聡明な人」だったと述べている。

「今日、世界はロックンロールの歴史における真の巨人を失いました。その間違えようのないサウンドで私も含めた無数の人に影響を与え、何世代ものミュージシャンが2本のドラム・スティックを手に取り、夢を追うことになったのです。ドラミングだけでなく、その言葉も含めて、この優しく思慮深く聡明な人は私たちのラジオやターンテーブルを支配してみせたのです」

声明は次のように続いている。「若かりし頃、“2112”を初めて聴いた時のことを鮮やかに覚えています。ドラマーを意識して聴いたのは初めてでした。あの日以来、音楽は違うものになりました。彼のパワーと正確さ、そして作家性は比類なきものです。彼は『博士』と呼ばれてきましたが、当然です。私たちはみんな彼から教わったのです」

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