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ジョン・レノンはかつて身につけていたサングラスが13万7500ポンド(約2000万円)の値で落札されている。

1980年12月8日に自宅のアパートの外で銃撃されて亡くなったジョン・レノンは1968年の夏にリンゴ・スターの車の後部座席にオリバー・ゴールドスミス製の丸縁のサングラスを誤って忘れており、そのサングラスがロンドンのサザビーズで競売にかけられている。

リンゴ・スターの運転手を務めていたアラン・ヘリングは手紙の中で当時のことを次のように振り返っている。「リンゴのメルセデスにリンゴとジョージ(・ハリスン)を乗せてジョンを迎えに行った後で、彼らを事務所まで送り届けました」

「ジョンが車を降りた時に、レンズとつるの片方がフレームから外れてしまっているサングラスを彼が後部座席に忘れているのに気が付いたのです」

「私はジョンに修理しておきましょうかと尋ねましたが、彼はこのサングラスはオシャレのためのものだから心配しなくていいと言い、都合のつく人に取りに行かせるよと言ったのです」

「私がこのサングラスを修理することはありませんでした。ジョンが置いていった時のままの状態で保管していたのです」

アラン・ヘリングは元々、イングランドのサリーにあるジョージ・ハリスンの邸宅で庭師を担当していた人物で、その後、リンゴ・スターから運転手として雇われている。

彼は次のように語っている。「ジョージやリンゴに雇われている間、アビイ・ロード・スタジオでレコーディングされた『ホワイト・アルバム』や『アビイ・ロード』、『レット・イット・ビー』のセッションのほとんどに立ち会うことができたのですが、とても心踊る時間でした」

先日、オノ・ヨーコはジョン・レノンの死から39年を迎えたことを受けて追悼の意を表している。

亡き夫を偲んでオノ・ヨーコはアメリカの銃法制の変革を求めており、ジョン・レノンの死を「胸に穴の空くような体験」と評している。

オノ・ヨーコは次のように述べている。「親愛なる友人たちへ。毎日100人のアメリカ人が銃で撃たれて亡くなっています。私たちはこの美しい国を戦場にしようとしているのです。一緒にアメリカを、平和な緑の地を取り戻しましょう」

オノ・ヨーコはジョン・レノンの死後、140万人の人々が銃で亡くなっている統計もシェアしている。

オノ・ヨーコは次のように続けている。「愛する人を失うのは胸に穴の空くような体験です。39年が経ってもショーンとジュリアンと私は彼のことをなお惜しんでいます。すべての人々が平和に暮らせることを想像してみてください」

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