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エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズはフロントマンのバリー・マスターズの「突然の」死を発表しており、これに対して追悼の声が寄せられている。

エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズはツイッター上で訃報を発表し、「伝説的」シンガーに追悼の意を表している。

「伝説的なバリー・マスターズの死をお知らせしなければならず深い悲しみに包まれています」とバンドはツイートしている。「お察しの通り、この突然の悲しいニュースはバンドと彼の家族ににとって大きな衝撃でした。追悼についてはフェイスブック、ツイッターでお願いしており、これはバリーの遺族も目にすることになります」

現時点でバリー・マスターズの死因は公表されていないという。

多くのファンや友人、ミュージシャンがソーシャル・メディアでバリー・マスターズに追悼の意を表しており、作家のジョン・サヴェージは彼の作品について「原初のエネルギーの塊」と評している。

「バリー・マスターズ、安らかに。1976年のホット・ロッズの最初のツアーのシングルは原初のエネルギーの塊だった:ファースト・シングルにして最高だった(リー・ルイスがハーモニカで参加している)。“The Writing on the Wall”」

「ああ。安らかに、バリー・マスターズ、エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズのフロントマン。これは今までで最も偉大なアルバムの一つ。実に完璧なんだだ。なんて悲しい日だろう」

「今朝、エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズのバリー・マスターズの訃報を聞いて悲しんでいます。バリーと彼のバンドとは、ロンドンでスティフ・リトル・フィンガーズのオープニングを務めた時に競演しました。真のロッカーでした。悲しく惜しまれることになるでしょう。おやすみなさい。愛を込めて、ザ・ヴェイパーズ」

「エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズのヴォーカリスト、バリー・マスターズが亡くなったという悲しいニュースを知った。安らかに」

「安らかに、バリー・マスターズ、誇張なしにこのアルバムが1976年のうだるように暑い夏にいかに素晴らしく聴こえたか。音楽が身勝手さの泥沼に沈もうとしている時に届いたんだ。手榴弾が爆発するように感じたよ」

「安らかに、ホット・ロッズのバリー・マスターズ。これは人生を変えた『トップ・オブ・ザ・ポップス』の4〜5つの瞬間の一つだった」

「バリー・マスターズが亡くなったことを知って打ちのめされている。エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズの今年のマンチェスターでの最終公演を観ることができたのは本当にラッキーです。音楽が大好きになった理由のうちの一つです」

「本物の痛みを感じる。1977年から人生の一部だった。最近では個人的に彼に会えたことで一層そうなっていたんだ、ビールと長い会話を、ライヴの後にかわしてね。悲劇的なニュースに言葉がありません。ご家族とご友人にお悔やみ申し上げます。安らかに、バリー・マスターズ」

「エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズは僕のお気に入りのレコード会社による失敗例の一つなんだ。ザ・ダムドの代わりにザ・ダムドのデビュー・アルバムに彼らの写真が印刷されてしまったんだ。ポール・グレイ(写真右)はのちにザ・ダムドに参加するんだけどね。予言だよ。安らかに、バリー・マスターズ。“Do Anything You Wanna Do”」

エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズは1975年にエセックスで結成され、パブ・ロックの代表的な存在として9枚のアルバムをリリースし、1977年にトップ10ヒットとなった“Do Anything You Wanna Do”が代表曲として知られている。1981年に解散した後、何度か再結成を果たしているが、バリー・マスターズが常に参加していた唯一のメンバーとなっている。

エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズはその激しいライヴで知られ、セックス・ピストルズは初ライヴで彼らのサポート・アクトを務め、ブレイクするきっかけとなっている。

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