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オアシスのメンバーを初めて引き合わせたことで知られるビガンことポール・アシュビーは、オアシスのサウンドを生み出したのはリアム・ギャラガーでもノエル・ギャラガーでもなくボーンヘッドだったと語っている。

リアム・ギャラガーと32年来の知り合いとして知られるポール・アシュビーは、リアム・ギャラガーが14歳だった頃に初めて出会い、駐車代行の運転手として彼を雇ってるほか、後に彼をギタリストのボーンヘッドことポール・アーサーズに引き合わせている。リアム・ギャラガーとボーンヘッドらはオアシスの前進バンドであるザ・レインを結成し、その後、ノエル・ギャラガーがギタリスト兼メイン・ソングライターとして参加してオアシスが結成されている。

ポール・アシュビーは新たに刊行した自伝『ギヴィング・イット・ビガン(原題)』の中で、オアシスの音楽の中核を成している荒削りなサウンドを生み出したのはボーンヘッドだったと述べている。

「オアシスの音楽を生み出したのはノエルやリアムだと思われているけど、実際は違うんだ。ボーンヘッドなんだよ」とポール・アシュビーは記している。「リアムはフロントマンで、ノエルは詩人として後から加入した人なんだ。ジグソー・パズルのようなものでね。集まるべくして集まったんだよ」

「『ディフィニトリー・メイビー』はノエルにとってのセラピーのようなものでね。彼の詩作ではあったけど、その中核にあったサウンドはボーンヘッドによるものなんだ。まだザ・レインと呼ばれていた頃から彼らを知っているから、僕には分かるんだ」

『マンチェスター・イヴニング・ニュース』によれば、ポール・アシュビーはリアム・ギャラガーやノエル・ギャラガーをオアシスのメンバーに引き合わせたことについて、本名をポール・アーサーズというボーンヘッドはもっと自身に感謝するべきだと考えているという。

14歳の時にボーンヘッドと出会ったというポール・アシュビーは当時から彼の情熱やバンドを結成したいという強い気持ちに気付いていたとして、「昔は彼に魅了されていた」と述べている。

「1986年に公園で一緒に座って、大きなラジカセで音楽を聴いていた時に、ボーンヘッドから『一緒にバンドを組もう』って言われたんだ」とポール・アシュビーは記している。「僕は楽器を弾いていなかったんだけど、ベースを弾くように勧められてね。とはいえ、うまくいかないことは分かっていたからね。その代わりとして、僕は完璧なフロントマンを見つけたんだ」

ポール・アシュビーはボーンヘッドにフロントマンとして紹介することになったリアム・ギャラガーについて、運転手として雇っていた頃から彼が「本物の何かを持っている」ことには気付いていたと述べている。「リアムは何よりもノエルから認めてもらいたいと思っていて、バンドならそれを叶えられることを知っていたんだ」とポール・アシュビーは当時を振り返っている。

「それに、僕は彼がロックスターになりたいと言っているのを1年くらいヴァンの中で聞いていたからね。きっと乗り気になってくれるであろうことは分かっていたんだ」

ボーンヘッドはその後、リアム・ギャラガーやノエル・ギャラガーを紹介された後で、トニー・マッキャロルや ポール・マクギガンと共にオアシスを結成している。

ポール・アシュビーはオアシスについて次のように述べている。「彼らの音楽がリリースされた時、今ではもう感じられないような方法で彼らの音楽は人々の心に響いたんだ。誰しもが、『一体これは何だ?』って思ったわけでね。僕はリハーサル室で座りながら、『これは現実なのか?』って思っていたのを覚えているよ」

一方、リアム・ギャラガーは先日、2004年にオアシスとしてヘッドライナーを務めたグラストンベリー・フェスティバルについて「最悪だった」と語っている。

白いパーカーを着て出演したことで知られるリアム・ギャラガーは当時のステージについて、インイヤーモニターを着けたことで台無しになってしまったと語っている。

リアム・ギャラガーはBBCミュージック6のマット・エヴァリットの番組に出演して次のように語っている。「グラストンベリーはいつだって楽しいものだったよ。ただ一度、白いパーカーを着て出演した時は楽しめなかったんだけどね。インイヤーモニターを初めて着けた時で、その後15年くらいその影響が残り続けたんだ。ようやくその影響がなくなったという感じでね。やっと正常に戻れたんだよ。あのギグは最悪だったね」

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