オアシスの初代ドラマーとして知られるトニー・マッキャロルは1995年にバンドから脱退した時のことを振り返っている。
トニー・マッキャロルはオアシスが結成された1991年からバンドのドラマーを務め、1995年まで在籍していた。1995年からはアラン・ホワイトが彼に代わって2004年までオアシスのドラマーを務めていた。
トニー・マッキャロルはノエル・ギャラガーから解雇を言い渡される形でオアシスを脱退している。トニー・マッキャロルはその後、支払われるべき報酬があるとしてオアシスに対して訴訟を起こしており、バンドが彼に60万ポンド(当時のレートで約1億1940万円)を支払うことで示談が成立している。
「(脱退してから)2〜3年の間はスーツケースの生活から抜け出せなかったね」とトニー・マッキャロルは『マンチェスター・イヴニング・ニュース』紙とのインタヴューでオアシスから脱退した当時を振り返っている。「バンドと一緒に旅をしたり、ツアーに出ていたわけだからさ。とにかくバンドから離れる必要があったんだ。バンドはどんどん大きくなっていって、彼らにとっては喜ばしいことだけど、僕はそのすべてから離れる必要があったんだよ」
「それで、僕はいくつかのことに目を瞑って無視をすることにして逃げることに決めたんだ。アメリカにも住んだし、(スペインの)テネリフェにも住んだ。3年間はずっと酔っ払っていたんじゃないかな。だけど、それと同時に裁判にも取り組んでいたわけでさ。そういうわけで、僕は逃げ出したいという気持ちを持ちながら、弁護士たちからの引っ切りなしの質問にも答えていたんだ」
彼は次のように続けている。「けど、それは僕に適したやり方じゃなかった。当時の僕はまだ若くて、法律や訴訟についての理解はおろか、関心すらなかったんだ。裁判中は疲れ果てていたよ。もっといい方法はあったはずなのに、とても長引いてしまったんだ」
「裁判が終わった時は、少し解放された気分だったね。『オーケー。これでしばらくは自由だ』っていう感じだった。もう二度と経験したくないし、もう耐えられないと思うな」
「いつ普通の生活に戻れたのかって訊かれると…….もしかしたら僕は、今も普通じゃないのかもしれない。オアシスと過ごした1日1日を思い起こすんだよ。ラジオから流れてきたり、友達や一緒に仕事をしている人から聞いたりすることでね。オアシスの初代ドラマーだっていう事実からは逃げられないわけでさ。きちんと受け入れなければいけないんだよ」
トニー・マッキャロルは同じインタヴューの中で、今年でリリースかから25周年を迎えるオアシスのデビュー・アルバム『ディフィニトリー・メイビー』についても語っている。
「僕たちなら失敗するわけがないっていう強い確信があったね」とトニー・マッキャロルは語っている。「(マンチェスターのナイト・クラブである)ザ・ボードウォークのリハーサル・ルームが小さな俺たちだけの空間のような場所だったんだけどさ。スタジオから外へ出る時なんか、まるで宇宙船から降りているかのようでね」
「隣のスタジオにいた人たちが、『驚いたよ。今のは何だ? 素晴らしいサウンドだったよ』って言ってくれるんだ」とトニー・マッキャロルは続けている。「僕たちの誰一人として、スターになろうだとか、お金が欲しくてやっていた人はいなかったと思う。むしろ、普通の生活や普通の仕事から逃れるためにやっていたんだ」
「確かに終わり方にはガッカリしているところもあるけど、とても誇りに思っているよ」
トニー・マッキャロルは今月からUKでQ&AセッションやDJセットを披露するツアーを行う予定となっている。
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