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ザ・プロディジーのマネージャーはキース・フリントが今週亡くなったことを受けて追悼の意を表している。

1990年代初頭に結成当初からバンドのマネージャーを務めているニック・ハルクスは現地時間3月6日にザ・プロディジーがパーティーをする昔の映像をインスタグラムに投稿し、キース・フリントとの思い出について綴っている。

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Without Keefs contribution to #TheProdigy, life would have been quite different for me and there have been no shortage of voices over the last 36 hours expressing the sense of loss that accompanies the departure of this extraordinary performer. Having signed The Prodigy to XL before they played their first gig I was fortunate to have a unique insight into the very early stages of the bands development. In the early 90s they once found themselves playing a bar in Florida.Many of the people in there were looking at the tiny stage with bemusement.Undeterred,Keef left the stage and spent an extended period firing things up from in amongst the audience, connecting with every single person in there individually until he took up a position on top of the bar once he had the knowledge that he had won all doubters over.By the summer of 1997 they had a number one album all over the planet. Whether it was an underground rave in the early 90s, one of 2018s phenomenal tour dates or any number of performances across the spaces inbetween Keef and Maxim were always an incendiary combination out front.Liams beats could not have been in better hands and it was in the live arena that Keef burned brightest. Onstage Keefs presence was immense.Offstage he could be witty, charming ,pensive and mercurial. Post gig celebrations could provide memorable moments too and with Keefs birthday imminent, an impromptu party once kicked off backstage after a festival in Serbia.With Keef in his element and Skrillex and Caspa playing back to back for fun the dressing room was soon full to capacity as other artists and crew attempted to join the festivities.A bit of quick thinking was neccessary and before long the partition wall which separated the party room from another space was torn down to the accompanying cheers of attendees as the capacity of the unscheduled party venue suddenly doubled and the good times continued well into the daylight hours. Whilst there was much complexity to the man, an easier and simpler memory is of Keef enjoying life and shining brightly -onstage or off. RIP #keithflint #asktwice #smalltalksaveslives #timetotalk

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「ザ・プロディジーに対するキースの貢献がなければ、僕にとって人生はまったく違ったものになっていただろうし、ここ36時間にわたってこの類稀なパフォーマーの旅立ちに対する喪失の感覚を表現する声が足りないなんてことも存在しなかった」と彼は述べている。

彼は次のように続けている。「最初のライヴをやる前にザ・プロディジーとXLレコーディングスが契約し、僕は幸運にもバンドの発展における初期段階の内実をユニークにも見ることができた。90年代初頭にフロリダのバーで演奏することがあった。そこにいる人の多くは当惑した表情で小さなステージを眺めていたよ」

「誰にも止められないキースはステージを降りて、観客に混じって場を盛り上げるのに多くの時間を使って、それぞれ1人1人とコミュニケーションをとっていったんだ。それは彼がバーの一番高い所に陣取るまで続き、そこで彼は疑いの目で見る人々を味方につけたことが分かったんだよね。1997年の夏に彼らは世界中でアルバムがナンバー・ワンになったわけだけどさ」

投稿の中でニック・ハルクスはキース・フリントの「計り知れない」ステージ上での存在感やステージ外での「知的かつチャーミングで思索と機知に富んだ」性格についても触れている。彼は次のように続けている。「あの人物には非常に複雑な側面があって、最も率直に出てくる思い出は彼が人生を謳歌し、ステージ上でもステージ外でも光り輝いている姿なんだ」

ニック・ハルクスはザ・プロディジーのライヴの後に即興で始まったバックステージでのパーティーのことを次のように思い返している。「ライヴの後のお祭りも思い出深い記憶となっていて、キースの誕生日が目前の時にセルビアでフェスティバルに出演した後、バックステージで即興で始まったことがあったんだ。キースがお得意の調子でスクリレックスとキャスパと共にバック・トゥ・バックで曲をかけ始めてね、他のアーティストやクルーも入ってきて、すぐに楽屋は満杯になったんだ」

「そうなると、ちょっとした思いつきが必要になるわけだけど、やがて楽屋を仕切っていたパーティションの壁が参加者の喝采と共に取り壊さることになって、この予定外のパーティーの会場は2倍になって、最高の時間は日の出の時間まで続くことになったんだ」

キース・フリントは3月4日にエセックスの自宅で亡くなっているところを発見されている。享年49歳だった。彼は自殺で亡くなったと見られている。

メンバーのリアム・ハウレットとマキシムも追悼の意を表しており、声明で次のように述べている。「深いショックと悲しみと共に我々の兄弟であり、親友であるキース・フリントが亡くなったことを発表します」

「真のパイオニアにして革新者であり、伝説でした。彼は永遠に惜しまれることになるでしょう」

ザ・プロディジーはキース・フリントの死を受けて、今後の予定されていた公演をすべてキャンセルしている。

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