メタリカの初期のマネージャーとして知られるジョン・“ジョニー・Z”・ザズーラは新たな回想録を刊行することを発表している。
ジョン・ザズーラはメタリカのデビュー・アルバム『キル・エム・オール』のエグゼクティヴ・プロデューサーを務めているほか、メタリカが初めて契約したレコード会社として知られるメガフォース・レコードの設立者として知られている。
ジョン・ザズーラと妻のマーシャ・ザズーラは1982年にメガフォース・レコードを設立して、その最初のアーティストとしてメタリカと契約している。メガフォース・レコードはその後もアンスラックスやテスタメント、オーヴァーキルら当時の数多くの大物バンドたちと契約している。2人は同年にマネージメント会社のクレイズド・マネージメントも設立しており、アンスラックスのマネージメントを11年間、メタリカのマネージメントを2年間それぞれ担当しているほか、これまでにミニストリーやタッドらが所属している。
ジョン・ザズーラは今回、「ザ・メタル・ヴォイス」のインタヴューに応じて2019年10月の刊行を目指しているという回想録について語っている。「刊行は10月を予定しているんだ。ハロウィーンまでには出したいね」と彼は語っている。「書き終えてはいるんだ。今は細かい部分を埋めているところだよ。謝辞を書いているところなんだ。既に4章分くらいあるんだけどね」
「本は、ほとんどの人たちが最後に持っていきたがった部分から始まっている。(1984年8月にニューヨークにある)ローズランド・ボールルームにアンスラックスやメタリカ、レイヴンが出演して、3組ともがメジャーレーベルとの契約を勝ち取ったあの日から始まっているんだ」とジョン・ザズーラは続けている。「その地点が頂点だと思っている人が多いようだけどね。けど、実際のところ、回想録はその場面から始まり、物語はそこから進んでいくんだ。そういうわけで、ローズランド・ボールルームでの熱狂的な一夜から始り、そこから今日に至るまでのストーリーが記されているんだ」
ジョン・ザズーラはまた、回想録を書くにあたって当時を思い出すために外部の人物に話を聞いたことを明かしている。
「何もかも忘れてしまっていたんだよ」とジョン・ザズーラは語っている。「僕の人生を研究してくれたハロルド・クラロス(・マルドナード)という人物を招いて、いろいろと教えてもらったんだ。第5章か6章を書き終えた後でお互いに、『これは1年半の間の出来事だっけ? それとも2年間の出来事だっけ?』っていうふうになったんだけどね。というのも、最初はフリーマーケットで一晩にせいぜい15ドルを稼ぐのがやっとだったのに、ある日を境に1000万ドルを稼げるようになったんだからね」
彼は次のように語っている。「これは素晴らしい物語だよ。酸いも甘いも一緒に乗り越えてきた夫と妻の素晴らしい物語なんだ。回想録では、無一文だったところからいかに乗り越えてきたかについても書かれている。小便を入れる瓶もなかったんだ。僕らは何年もの間、ホールで暮らしていたんだよ」
「とても興味深い物語になっているよ。自分の話だとしても、面白いと思う。ブルーカラーの物語さ。上流階級に生まれて、そうなることを義務付けられたような人物の話ではないんだよ。僕らは全力で働かなければいけなかった。子供の頃は服飾業が盛んな地域で服を作ったり、背中に荷物を背負って配送をやったりしていたよ。そういう男の話なんだ。そんな彼が妻になる女性と出会って、一緒に何かを成し遂げるっていうね。この本はそういう話になっているんだ」
ジョン・ザズーラは回想録について、「手に取ったら読み終えるまで手放せないような本になるよ。一気読みしてしまうと思う」として、次のように続けている。「よくても2回は読むんじゃないかな」
ジョン・ザズーラは1983年に当時カリフォルニアで活動していたメタリカをニューヨークに近い場所でも活動できるよう、自身が拠点としていたニュージャージーまで連れてきたことで知られている。メタリカは同年にニューヨークのロチェスターで『キル・エム・オール』をレコーディングしており、彼らはその後、エレクトラ・レコーズとQ・プライム・マネージメントと契約している。
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