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ザ・ビートルズに人生を捧げ、自身のアパートをザ・ビートルズの博物館にしたことで知られるロシア人ファンのコーリャ・ヴァシンがサンクトペテルブルクで亡くなった。享年73歳だった。

コーリャ・ヴァーシンは、西欧のポピュラー音楽が当時の共産主義政権によって危険分子と見なされていたソ連時代において、ロシアで最も有名なザ・ビートルズのファンとして知られていた。コーリャ・ヴァーシンは当時、ザ・ビートルズの楽曲をブートレッグ盤で聴いていたという。

コーリャ・ヴァーシンは2013年に『オブザーヴァー』紙のインタヴューでザ・ビートルズが好きだったことでいかに頻繁にソ連当局と衝突することになったかについて明かしている。

彼は次のように語っている。「『社会の秩序に反している』として何度も逮捕されたよ。ザ・ビートルズを聴いている者たちは欧米のプロパガンダを広めようとしていると見なされていたんだ」

同じインタヴューの中でコーリャ・ヴァーシンは警察官から自身の長い髪を掴まれたことについても語っている。「痛くて涙が出たけど、声を上げないようにしたんだ。警察官に刑務所まで引きずられるんじゃないかって、怖かったよ」とコーリャ・ヴァシンは振り返っている。

彼は続けて、ザ・ビートルズの音楽が自身の人生に「あらゆる冒険」を与えてくれたと語っている。コーリャ・ヴァーシンは逮捕されるリスクを知りながらも、ザ・ビートルズを追いかけ続けることを決めたという。

彼は次のように続けている。「ザ・ビートルズを聴いている者たちは欧米のプロパガンダを広めようとしていると見なされていたんだ……誰かがザ・ビートルズについての悪口を言っていたら、僕らはすぐにその人の価値が分かってしまうほどでね。政府も先生も、それに自分たちの両親でさえ、僕らには愚かに見えたものだよ」

ソビエト連邦に住んでいたザ・ビートルズのファンらはバンドの音楽を聴くのに苦労していた一方で、コーリャ・ヴァーシンが集めた世界随一のザ・ビートルズのレコードや写真、グッズなどの膨大なコレクションのおかげで、ソビエト連邦でも次第に彼らの音楽が聴けるようになっていったという。

コーリャ・ヴァーシンは自身のアパートでザ・ビートルズのそれぞれのメンバーの誕生日パーティーを開催しており、バンドの音楽を聴くことができなかったファンにとって、彼らの音楽を聴くことのできる機会となっていた。

コーリャ・ヴァーシンは1960年代からザ・ビートルズのアルバムや品々の収集を始めている。BBCによれば、彼が最も大切にしていたコレクションはジョン・レノンとオノ・ヨーコのサインが入った『平和の祈りをこめて』のアルバムだったという。

コーリャ・ヴァーシンは1970年に誕生日を祝う電報をジョン・レノンに送ったといい、何千通ものファンレターの中から彼の電報が読まれることになったのだという。彼はジョン・レノンから電報へのお礼としてサイン入りのアルバムを受け取ったのだといい、その時のことについて「神が仲介してくれた」と振り返っている。

コーリャ・ヴァーシンは50年以上にわたってザ・ビートルズの品々を収集しており、ジョン・レノンへのトリビュートとしてサンクトペテルブルクに「愛の神殿」を建立するという夢を持っていた。サンクトペテルブルクの当局は建設予定地を探していたものの、その計画が最終的に実現することはなかった。

コーリャ・ヴァシンはまた、ザ・ビートルズの音楽が鉄のカーテンの背後で育った若者たちに与えた影響について綴った『ロック・オン・ザ・ロシアン・ボーンズ(原題)』と題した著書も出版している。

ソーシャル・メディア上ではコーリャ・ヴァーシンに追悼の意が寄せられている。友人の一人であるニック・バラバノフは、フェイスブックに彼を「ジョン・レノンやジョージ・ハリスンの元へ行ったんだ。彼らがそこで幸せで輝かしい時間を過ごせますように!」と追悼の意を表している。

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