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元レーナード・スキナードのギタリストでミュージシャンのエド・キングが68歳で亡くなった。

エド・キングは現地時間8月22日にナッシュヴィルにある自宅で息を引き取っている。エド・キングのフェイスブック・ページは彼の訃報を認めており、次のように述べられている。「彼の人生やキャリアを通じて、エドを愛し、サポートしてくれた多くの友人やファンの方々に感謝致します」

https://www.facebook.com/ed.king.52687/posts/10156568164434185

彼の死因については現時点で明らかになっていないものの、彼は最近まで肺ガンで入院していたことが報じられている。

エド・キングは1972年に、脱退するベーシストのレオン・ウィルキンソンの代役として、レーナード・スキナードの3番目のギタリストとしてバンドに加入している。

エド・キングは1973年のセルフタイトル作、1974年の『セカンド・ヘルピング』、1975年の『ナッシン・ファンシー』というバンドの最初の3作品に参加しているほか、セルフタイトル作に収録されているバンドの最も有名な曲の一つである“Sweet Home Alabama”を共作している。

エド・キングは1975年に、当時フロントマンを務めていた故ロニー・ヴァン・ザントとの口論がきっかけでレーナード・スキナードを脱退している。しかしながら、エド・キングはその後1987年にバンドに再加入して、脱退する1996年までバンドに参加している。レーナード・スキナードが2006年にロックの殿堂入りを果たした際には、エド・キングもメンバーとして紹介されている。

レーナード・スキナードのゲイリー・ロッシントンは、エド・キングの訃報を受けて米『ローリング・ストーン』誌に次のように声明を寄せている。

「ちょうどエドが亡くなったことを知ったばかりで、ショックを受け、悲しみに暮れています」とゲイリー・ロッシントンは述べている。「エドは僕らにとっての兄弟であり、素晴らしいソングライターで、ギタリストでした。彼はロックンロールの天国で残りのメンバーたちと再会することでしょう。彼の家族にお悔やみを申し上げます」

エド・キングはレーナード・スキナードに加入する前にサイケデリック・ロックバンドのストロベリー・アラーム・クロックを結成しており、彼が共作した“Incense and Peppermints”は1967年に全米シングル・チャートの1位を獲得している。

エド・キングの訃報を受けて、多くの人々がソーシャル・メディアで彼を追悼している。

彼を追悼するソーシャル・メディアへの投稿はこちらから。

「私の祖父であるエド・キングが昨晩亡くなりました。祖父は素晴らしい人生を生き、私の父を含む、彼を心配する多くの人たちに看取られて亡くなりました。1年以上前に、少しではありましたが祖父と一緒の時間を過ごせたことを嬉しく思います」

「レーナード・スキナードのエド・キングよ、安らかに」

「エド・キング、安らかに」

「元レーナード・スキナードのギタリストで、初期のアルバムで多くのクラシックなギタープレイを披露したエド・キングが亡くなったことを知ったんだ。エドよ、安らかに。あなたは素晴らしいリフの数々を残してくれました」

「エド・キングよ、安らかに。紳士の中の紳士であり、ギタリストの中のギタリスト、ソングライターの中のソングライターで、僕が知る中で最も熱狂的なギター・オタクだった。この悲しい日に、僕の思いと祈りを彼の家族や友人の方々に送ります」

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