ザ・ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンについての新たな書籍によれば、ザ・ビートルズが1968年にリリースした『ホワイト・アルバム』として知られる『ザ・ビートルズ』のレコーディング中、ジョージ・マーティンはセッションから「締め出されていた」と指摘されている。
『ガーディアン』紙によれば、書籍の著者であるケネス・ウォマックはジョージ・マーティンとバンドは当時「冷戦状態」にあり、ジョージ・マーティンが自分の意見を言ったのは「ザ・ビートルズに呼ばれた時」のみだったと指摘している。
ケネス・ウォマックは『ホワイト・アルバム』のセッションに参加していたエンジニアやテープ・オペレーターに当時について話を聞いており、彼らの証言によればジョージ・マーティンは同作のセッション中、「新聞の束と巨大なチョコレート・バー」を持ってスタジオの後ろで座っていただけだったという。
ケネス・ウォマックは次のように記している。「(サウンド・エンジニアに)ジョンがギターを演奏したりリンゴがドラムのパートに取り組んでいる時に、ジョージ (・マーティン)は何をしていたのかと訊くと……彼らはこう言いました。『何もしていません。ブースの後ろに座って、新聞を読みながら私たちとチョコレートを食べていました』と。彼はチョコレートと新聞でちょっとしたストライキを起こしていたのです」
2016年に亡くなったジョージ・マーティンは、ザ・ビートルズの全アルバムのプロデュースにおいて多大なる影響を与えたとして、「5人目のザ・ビートルズ」として知られていた。
ケネス・ウォマックは両者の「冷戦」の理由について、ザ・ビートルズのマネージャーを務めていたブライアン・エプスタインが前年に亡くなってしまったことと、その後の『タイム』誌の記事でジョージ・マーティンがバンドの代表作である『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の首謀者だと紹介されていたことの2つの理由があると指摘している。
ケネス・ウォマックは次のように綴っている。「このことは……1967年に出版された『タイム』誌の記事の中で、ジョージ・マーティンについて神童であり、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の首謀者だと紹介されていたことと大いに関係があります。バンドはこの記事をこころよく思わず、ジョージに知らしめようとしたのです……これこそ、『ザ・ビートルズを裏で操る天才は誰か?』という論争の始まりだと筆者は考えています」
「ザ・ビートルズの神話を自分のものとして紹介されたツケを払わされたのです……しかしながら、バンドは『アビイ・ロード』の時に彼を説得して、復帰することとなりました」
ケネス・ウォマックによる伝記の後編『サウンド・ピクチャーズ:ザ・ライフ・オブ・ビートルズ・プロデューサー・ジョージ・マーティン――ザ・レイター・イヤーズ, 1966 – 2016(原題)』は9月4日に刊行される。
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