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エルヴィス・プレスリーの初期のバンド・メンバーで唯一の生存者だったD・J・フォンタナが亡くなった。享年87歳だった。

本名をドミニク・ジョセフ・フォンタナというドラマーのD・J・フォンタナは、“Jailhouse Rock”や“Hound Dog”を初めとするエルヴィス・プレスリーの450を超える音源でドラムを叩いている。

D・J・フォンタナの息子であるデヴィッド・フォンタナはフェイスブックで父親が亡くなったことを明かして、次のように綴っている。「私はみなさんに、その都度お知らせすると言ってきました。私の父は、今夜9時33分に眠りながら息を引き取りました」

「父は痛みもなく、安らかに眠りにつきました。さらなる情報が入りましたら、また明日お知らせします。今は私たちのプライヴァシーにご配慮頂ければと思います。みなさんからの愛と祈りに感謝しています」

D・J・フォンタナはエルヴィス・プレスリーの数々のヒット曲でドラムを叩いているほか、1968年に放送された「’68カムバック・スペシャル」にも出演している。

D・J・フォンタナは、多くの有名カントリー・ミュージシャンが出演していたラジオ番組「ルイジアナ・ヘイライド」の専属ドラマーとしてキャリアをスタートさせている。

D・J・フォンタナはその後、1954年に同番組に出演したエルヴィス・プレスリーから共演を持ちかけられたことがきっかけで、彼のバンド・メンバーに正式に加わることとなり、ブレイクを果たしている。

D・J・フォンタナは1956年に“Heartbreak Hotel”を含むエルヴィス・プレスリーとの最初の楽曲をレコーディングしている。D・J・フォンタナはエルヴィス・プレスリーと14年間にわたって活動している。

D・J・フォンタナは、パーカー大佐として知られるエルヴィス・プレスリーのマネージャーであるトム・パーカーと金銭を巡ってトラブルとなり、1969年にバンドを脱退している。

エルヴィス・プレスリーのヘアスタイリストを務めたラリー・ゲラーは、D・J・フォンタナが亡くなったことについて自身のフェイスブックに次のように綴っている。「友人のD・J・フォンタナが亡くなったと聞いて、深い悲しみに包まれています」

「しかしながら、悲しみとともに、何年にも及ぶ素晴らしい思い出たちも溢れています。私たちは多くの素晴らしい時間を共有しましたから。D・Jは伝説的なドラマーだっただけでなく、エルヴィスにとっては親しい大切な友人だったのです」

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