リアム・ギャラガーはインタヴューの中で母親が虐待癖のある父親の下を離れた時の自身の少年時代の思い出について語っている。
『テレグラフ』紙のインタヴューの中でリアム・ギャラガーは、少年時代にしたイタズラや学校をサボっていたこと、疎遠な父親との関係について語っている。ギャラガー兄弟の母親であるペギーは父親の暴力癖を受けて、子供を連れて新居に引っ越している。
「俺が7歳の時に母親は父親の下を離れたんだ」とリアム・ギャラガーは語っている。「あいつはいつも外出してて、手を上げて、母親を殴り、ノエルやポールを殴っていたんだ。俺には一度も触れなかったけどな。それで、ある夜、あいつが外出している時に、母親は兄弟を連れてきて、家財を全部トラックに載せて、あいつにマットレスだけを残して、新しい家へと行ったんだ」
「俺たち全員にとってこれはすぐにいい結果となったよね。俺はいつも外に出てサッカーをしてて、エネルギーに溢れ、塞ぎ込むことはなく、孤独でもなかった。徒党を組んでたんだ。出かけては、イタズラをしてね。常に女の子を追っかけてた。でも、一度手に入れてからは、『男どもと出かけたいな』って感じだったな」
リアム・ギャラガーは次のように続けている。「友人たちが恋しかったな。通りを上ったところに引っ越しただけだったけど、そのエリアに戻ることはなかった。というのも、父親がいつもそこらへんにいたからね。学校をサボってると、よくあいつを見かけたよ。そこらへんに立ってて、俺の友人たちなんかとタバコを吸っててね。俺たちを見かけると、追いかけてくるんだ。それで叫んでるんだよ。『お前ら、どこへ行っちまったんだ? ろくでなしめ』ってね。あいつは俺たちがどこに引っ越したのか知らなかったんだ。常に俺があいつを振り切っていたけどな」
同じインタヴューの中でリアム・ギャラガーは自身の10代を振り返り、バンドを始めた経緯を明かしている。
「なんの技能もない状態で退学したんだ」と彼は語っている。「そしたら学校がガーデン・センターの職をくれてさ。フェンスにクレオソート(防腐剤)を塗る仕事だったんだ。青少年職業訓練計画っていうやつだよな。週50ポンドで午後3時に終わるんだけど、金曜は正午で終わりだったんだ。だからよく学校のそばを通って、50ポンドを友人に振りかざしながら歩いてたね」
さらにリアム・ギャラガーはバンドのヴォーカリストを志した経緯について次のように語っている。「ラジオのトップ40に合わせて歌っているうちに、俺は歌えるって気づいたんだ。それでローゼズのライヴを観て、こう思ったんだよ、『あれならできるな。俺はルックスも良いし、服だって揃ってる。髪型も万全だ。あとはマイクロフォンの前に立って、口を開きさえすれば良いんだろ。楽勝だ』ってね」
さらに彼は次のように続けている。「サッカーをやってて知り合った仲間が3人いて、ザ・レインっていうバンドをやってたんだ。それで『あいつらと一緒にやって、俺が歌うことができたら、うちの奴(ノエル)も引き入れることができるよな』って思ったんだ」
「16歳のときの自分が思い描いたバンドにいるっていうイメージはさ、今の俺がにとってもそのまんまなんだよ。音楽が俺を裏切ったことは一度たりともなかったね。全部想像した通りだったんだ。オアシスの最後に俺とノエルの状態がとりわけ悪かったときでさえ、穴を掘るよりはマシだったよな」
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