ザ・ビートルズの初期の段階でプロモーションを担当し、イメディエイト・レコードの共同設立者であるトニー・カルダーが亡くなった。享年74歳だった。
トニー・カルダーは1960年代初めにデッカ・レコードに勤め、1962年にザ・ビートルズのファースト・シングルである“Love Me Do”がリリース初週にラジオ・オンエアをまったく獲得できなかったことから、そのプロモーションをブライアン・エプスタインに任されている。
トニー・カルダーは一人で100枚のレコードを「フロアを満杯にすること保証付き」という但し書きを添えてUK中のクラブに送ったという。
「月曜日に発送したんだけど、水曜日にはどこもかけるようになったんだ」とトニー・カルダーは振り返っている。最終的に“Love Me Do”は全英シングル・チャートで17位を獲得している。
トニー・カルダーはその後、ザ・ローリング・ストーンズのマネージャーであるアンドリュー・ルーグ・オールダムと共にPR会社、イメージを共同設立している。二人は1960年代のザ・ローリング・ストーンズの悪童としての評判を形作ることとなった。
「あの当時はポップ・スターが全国紙の一面を飾ることなんてなかったからね」とトニー・カルダーはザ・ローリング・ストーンズとの仕事について振り返っている。「そのためにガソリン・スタンドの壁にミック・ジャガーが小便をしたと報じられたんだけど、実際はビル・ワイマンだったんだ」
「僕とアンドリューはその話を売ってね。それぞれ10ポンドをもらったよ」
トニー・カルダーとアンドリュー・ルーグ・オールダムは短期間で終わったインディペンデント・レーベル、イメディエイト・レコードを1965年に設立しており、スモール・フェイセスやロッド・スチュワート、ニコ、フリートウッド・マックらと契約している。レーベルは1970年に多額の金を失って破産しており、その後、数年間にわたって所属アーティストとの法廷闘争に巻き込まれることとなっている。
その後のキャリアではトニー・カルダーはブラック・サバスやベイ・シティ・ローラーズと契約しており、エディ・グラントのマネージャーとしても従事していた。
報道によれば、トニー・カルダーは肺炎からの合併症のためにロンドンのウェストミンスター病院で今週亡くなったという。
アンドリュー・ルーグ・オールダムはトニー・カルダーへの追悼として『ヴァラエティ』誌に次のように語っている。「トニーは耳と度胸の持ち主だった。彼のことが大好きだったし、これからも彼は惜しまれるだろうね」
A member of the family has left us – TONY CALDER 1938-2018 R.I.P. abrazo o pic.twitter.com/pHhAVbsWjr
— Andrew Loog Oldham (@loogoldham) January 2, 2018
Me and Teece (Tony Calder)
Ringbang For Life – E.G. pic.twitter.com/0GXe5FkJa6— Eddy Grant (@Eddy_Grant) January 4, 2018
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