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テイラー・スウィフトは、先日リリースした新作『レピュテーション』について綴った「プロローグ」の内容が明らかとなっている。

この「プロローグ」は、彼女の通算6作目となる新作『レピュテーション』のCDを「ターゲット」で購入したファンに配布されたもので、パーソナルな内容の長文のテキストとなっている。

あるファンは「プロローグ」を撮影した画像を投稿しており、そこには私たちの世代におけるソーシャルメディアとの関わりについてや、早い段階から世間の目に晒されてきたこと、名声の功罪などについて書かれている。

プロローグの全文訳は以下の通り。

「人々について学んだこと。

私たちは誰かのことを知っていると思っていますが、実際にはその人が私たちに見せようとしているある側面しか私たちには見えていません。私たちは友人をある側面から見ていますが、恋人のように知り合うことはできません。しかし、友人としての付き合い方とまったく同じように、恋人がその人と付き合うことも絶対にないでしょう。ルームメイトから見るその人の姿とは違う姿を母親は知っていますし、ルームメイトも同僚とは違う見方でその人と付き合っています。密かに想いを寄せている人はその人を見て、そこに輝く色の精巧な夕焼けを見出し、その奥行きを、精神性を、尊さを知るのです。一方で、見知らぬ人は目の前を通り過ぎ、群集の中にいる名もない人物だと思うことでしょう。それ以上はないでしょう。私たちはある人の噂を聞いて、それらが真実だと思うこともあるかもしれません。そして、いつかその人物に会ったときに、根拠のないゴシップを信じたことを恥じることもあるかもしれません。

私たちは、インターネット上に掲載されている写真でその全人生を振り返ることができ、その余波にみんなで気付くことになる初めての世代です。究極的には、私たちは写真をオンラインに投稿することで、見知らぬ人が私たちをどう思うかを操作しています。しかし、私たちは目覚めると鏡の中の自分の姿を見て、そこにいくつもの皺や傷痕、欠点、卑屈さを見出します。一緒に朝の自分の顔を見てくれる人にいつか出会うことを願っていますが、現実には人はその顔に自分の未来を、自分のパートナーを、自分にとっての永遠を見出そうとするものです。しかし、その人のすべての側面を見てくれた上で、それでも私たちを選んでくれる人はいるものです。どの角度から万華鏡を覗き込もうと、そのすべてがあなた自身なのですから。

要するに、生きていく中であらゆる人や物事を単純化し、一般化してしまうことになるにもかかわらず、人間を単純化することは本質的には不可能なのです。私たちは完全なる善人にも悪人にもなれません。私たちは最悪な自己と最良の自己を組み合わせた存在であり、心の奥底に秘密を抱える一方で、ディナー・パーティーで語るお気に入りの話があり、光を当てられたプロフィール写真と自動車運転免許証の写真との間を生きています。身勝手さと寛容さ、忠誠心と自己防衛、現実主義と本能をすべて混ぜ合わせた存在なのです。

私は15歳のときから世間の目にさらされてきました。そのことの美しく素晴らしい側面として、音楽を作って生活ができ、愛情深い観客のみなさんが元気になるのを眺めることができたのはとても幸運なことでした。その一方で、私の犯した過ちが私に不利な形で利用されてきました。私の失恋がエンタテインメントとして利用されてきました。そして、私のソングライティングは『おおっぴらに語りすぎ』だと矮小化されてきたのです。

このアルバムが出れば、ゴシップ・ブログが一曲一曲について徹底的にリリックを調査して、男性と結びつけようとすることでしょう。まるで音楽のインスピレーションは親子鑑定みたいに単純で基本的なものであるかのように。その間違った理論を裏付ける写真のスライドショーがいちいち存在するんでしょう。2017年ですからね。でも、もしもその写真がなかったら、そんなことにはならなかったんでしょうか?

そうしたことをやっている人たちにもう一度、大きな声で言わせてください。

私たちは誰かのことを知っていると思っていますが、実際にはその人が私たちに見せようとしているある側面しか私たちには見えていません。

これ以上の説明はもういらないでしょう。
それは評判(レピュテーション)でしかないのです」

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