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ブリング・ミー・ザ・ホライズンのフロントマンであるオリヴァー・サイクスは、亡くなったリンキン・パークのチェスター・ベニントンについて「バンドをやりたいと思ったきっかけ」であると明かしている。

ブリング・ミー・ザ・ホライズンは先日、ブリンク182やコーンのフロントマンであるジョナサン・デイヴィス、アヴェンジド・セヴンフォールドのM.シャドウズとシニスター・ゲイツ、システム・オブ・ア・ダウンのメンバーらとともにロサンゼルスのハリウッド・ボウルで開催されたチェスター・ベニントンの追悼コンサートに出演している。

チェスター・ベニントンは今年7月に自殺で亡くなっている。享年41歳だった。

「チェスターが亡くなったっていうニュースを聞いた時、俺は現場から遠くないロサンゼルスにいたんだ。最初は信じられなかったよ。正直に言うとね」とオリヴァー・サイクスは『ケラング!』誌に語っている。

「それが事実だって分かった時には、変な感じだった。ここ何年かにわたって多くの偉大なアーティストが亡くなっていたけど、彼ほど俺の人生に衝撃と影響を与えた人はいなかったんだ。ヴォーカリストとしてのチェスターも彼のバンドも、純粋に俺が人生でこの道を選ぶことになった張本人だからね。実際は知り合いではない人を失うことは――もちろん彼には会ったことはあるけど、友人とは呼べないからね――本当に妙な気持ちになるんだ。俺は本当に彼の存在を惜しんでる。彼のことをちゃんと知っていたわけじゃなくてもね。自分や自分たちが失ったものを悲しんで感謝を示すことが大切だと思うんだ」

オリヴァー・サイクスは続けて、初めてリンキン・パークを聴いた時のことを振り返り、彼らから受けた影響について語っている。

オリヴァー・サイクスは次のように語っている。「初めてリンキン・パークを聴いたのは13歳の時に違いないんだけど、正直に言うと、それまでは音楽が自分の生活でそれほどの部分を占めていなかったんだ。そんな頃に『ケラング!TV』でリンキン・パークのビデオを観て、『マジかよ、めちゃめちゃクールだな!』って思ったんだよね。彼らの音楽は俺に語りかけてくれているような気がして、歌詞に本当に共鳴していたし、彼らこそが俺をシーンにのめり込ませたんだ。それ以来俺はハードコアだったりメタルコアに夢中になったんだけど、いつだって彼らの新作はチェックしていたよ」

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