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スティーリー・ダンの結成メンバーであるウォルター・ベッカーが亡くなった。享年67歳だった。

ウォルター・ベッカーが亡くなったことについては彼のオフィシャル・サイトで発表されており、幼少期と後年の2枚の写真が並べられ、1950年2月20日〜2017年9月3日という日付が添えられている。死因については発表されていない。

http://walterbecker.com/

スティーリー・ダンでバンドメイトであったドナルド・フェイゲンは米『ローリング・ストーン』誌に発表した声明の中で追悼の意を表明している。

全文訳は以下の通り。

「ウォルター・ベッカーは1967年にバード大学で学生として会った時から僕の友人であり、作曲のパートナーであり、バンドメイトだった。大学が寮として使っていたハドソン川近くの朽ち果てた古いマンション、ワード・メイナーのロビーの客間にあるアップライト・ピアノでバカげた小曲を書き始めたんだ。

僕らは同じものを数多く好きだった。ジャズ(20年代〜60年代中盤)、(コメディアンの)W.C.フィールズ、マルクス兄弟、SF、(作家の)ナボコフ、カート・ヴォネガット、トーマス・バージャー、ロバート・アルトマンの映画なんかを思い出すよ。そして、ソウル・ミュージックやシカゴのブルースもね。

ウォルターは非常に荒れた少年時代を過ごした。詳しいことは勘弁しておくよ。幸運にも彼は鞭のようにスマートな素晴らしいギタリストにして偉大なソングライターだった。彼は自分自身を含む人間の本質についてシニカルであり、とんでもなく面白い奴だった。崩壊した家庭で育った多くの子供たちのように、クリエイティヴなモノマネのコツを掴んでおり、人の隠れた心理を読むことができ、活気のある辛辣なアートの中に見いだせるものへと変わることができた。彼は(送ることを目的とせずに)僕の妻であるリビーの立場からよく手紙を書いていて、僕ら3人はそれで笑い転げることとなった。

70年代末には彼の悪癖が彼に勝つことになってしまった。そして、僕らはしばらく連絡をとらなかった。80年代、僕がリビーとニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビューに取り組んでいる時、僕らは再び会うようになって、スティーリー・ダンのコンセプトを甦らせて、もう一つの素晴らしいバンドを発展させていった。

僕は、僕らで一緒に作った音楽をスティーリー・ダン・バンドと共にできるだけ長く、生き永らえさせていくつもりだよ。

ドナルド・フェイゲン

2017年9月3日」

ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは1970年代初頭にカリフォルニア州に移住した後、スティーリー・ダンを結成し、1972年にデビュー・アルバム『キャント・バイ・ア・スリル』をリリースしている。

ウォルター・ベッカーはスティーリー・ダンではギターとベースの両方を演奏し、バック・コーラスも担当している。リード・ヴォーカルとキーボードを担当したドナルド・フェイゲンと共にキャリアを通して2人だけがスティーリー・ダンの中核メンバーとなっている。

1974年にツアーから引退したスティーリー・ダンは全7枚のオリジナル・アルバムを発表した後、1981年に解散したものの、1993年発表のドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム『カマキリアド』をウォルター・ベッカーがプロデュースをしており、その後、スティーリー・ダンとして2枚のアルバムをリリースしている。2001年にはロックの殿堂入りも果たしている。

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