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クイーンのフレディ・マーキュリーの「隠し子」を自称する女性が亡くなった。享年48歳だった。
フレディ・マーキュリーの隠し子がいるという報道は『ラヴ、フレディ:フレディ・マーキュリーズ・シークレット・ライフ&ライヴ』という書籍の出版が発表された昨年5月に報じられたもので、本書は1976年に親友の妻との情事で期せず子どもを授かることになったという内容が含まれたものとなっている。
女性は書籍の中では「B」という名前で表記されており、1991年に亡くなるまでフレディ・マーキュリーとは親しい関係にあったという。レスリー=アン・ジョーンズとの共著となる書籍ではこの女性が定期的にフレディ・マーキュリーと会っていたこと、17冊に及ぶ手書きの日記を託されたことなどが明らかにされている。
現地時間1月15日、「B」という名前で表記された女性が48歳で亡くなったことが発表されている。
訃報は夫のトーマスによって『デイリー・メール』紙を通して発表されており、「脊索腫という珍しい脊椎のガンとの長い闘病生活の末、安らかに」亡くなったとのことで、「9歳と7歳の二人の息子」を残したという。
夫のトーマスは女性が「今は最愛の父と共に心の世界で過ごしている」としており、遺灰はアルプス山脈に撒かれたと述べている。
レスリー=アン・ジョーンズも訃報を受けて『インディペンデント』紙に次のように語っている。「近い友人となったこの女性が亡くなったことに打ちひしがれています。彼女は無私無欲の目的をもって私のところにやってきました。32年間にわたってフレディ・マーキュリーの物語を勝手に解釈してきた人々を払いのけて、人生を書き換えようとする嘘に立ち向かい、真実を届けようとしたのです」
「B」の存在についてはフレディ・マーキュリーの側近だった人物だけが知っていたと考えられている。フレディ・マーキュリーに近い人物からは懐疑的な声も寄せられたが、レスリー=アン・ジョーンズは3年前にBから初めて連絡を受けたとのことで、『デイリー・メール』紙に次のように語っている。「直感ではすべてを疑いましたが、彼女が間違いなく夢想家ではないことは分かりました」
「これをすべて捏造できる人などいません。なんで彼女は何も要求することなく、私と3年半も一緒に取り組んでくれたのでしょうか?」
レスリー=アン・ジョーンズは『インディペンデント』紙に対してクイーンの“Don’t Try So Hard”と“Bijou”は「B」について書かれた曲だとも語っている。
しかし、元々交際していて、近い友人であり、「B」の出生時に一緒に暮らしていたメアリー・オースティンは次のように語っている。「フレディは愉快でオープンな人でした。そんなに面白い出来事を私や近い人物に秘密にしたがって、それができたとは想像できません」
クイーンのギタリストであるブライアン・メイはこの件に関して「中立」の立場を保ちたいと述べているが、妻のアニタ・ドブソンは「B」の主張を「フェイク・ニュース」と評している。
昨年8月、「B」は『デイリー・メール』紙に対してメアリー・オースティンの発言に「ショックを受けている」と語っている。「B」は父のフレディ・マーキュリーと「とても親密で愛情深い」関係にあったとして「大切な宝物のように」扱ってくれたと述べている。
フレディ・マーキュリーは1991年にエイズによる気管支肺炎で亡くなっている。
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