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キッスのジーン・シモンズはエース・フレーリーの死についてライフスタイルでの「誤った判断」が一因だったと語っている。

エース・フレーリーは10月16日にニュージャージー州モリスタウンで享年74歳にて亡くなっている。声明ではエース・フレーリーは「自宅での転倒の後」、「家族に囲まれて穏やかに亡くなった」と説明されている。エース・フレーリーは死因に関する調査も行われ、死因は転倒による頭部の鈍的外傷で、事故で亡くなったと結論付けられている。

現地時間12月7日、ドナルド・トランプ大統領はキッスにケネディ・センター名誉賞を授与している。式典に先立ってジーン・シモンズは『ニューヨーク・タイムズ』紙に対して、「誤った判断」が転倒死に繋がったとして、薬物乱用が一因となった可能性を示唆している。

「エース・フレーリーは健康に気をつけて、ライフスタイルを変えてくれという人のアドバイスを無視したんだ」とジーン・シモンズは語っている。「誤った判断を繰り返した。私は医師ではないけど、階段で転んだからって亡くなるわけじゃない。他にも原因があったかもしれない。胸を痛めているよ」

「最も悲しいのは残念ながら自業自得ということなんだ」薬物検査の結果は発表されていないが、エース・フレーリーは昨年の時点で18年間にわたって、もう薬物をやっていないと語っている。

先月、キッスのメンバーはツアーを引退してから初めてノンメイクのライヴを行っており、エース・フレーリーに追悼の意を表している。ライヴの前には観客に電気キャンドルが配られ、ステージに登場したポール・スタンレーはキャンドルを高く掲げて、次のように呼びかけている。「このバンドの礎を築いた人物について思いを馳せてみてください」

「エース・フレーリーのことです」とポール・スタンレーは続けている。「確かに意見の相違はありましたが、家族とはそういうものです。少し時間を取って、私たちのことを(フィクションの惑星である)ジェンデルから見下ろしている彼に思いを馳せてみませんか。エース・フレーリーのための時間を過ごしましょう」

1951年4月27日にポール・ダニエル・フレーリーとしてブロンクスで生まれたエース・フレーリーはいくつかの地元のバンドで活動した後、1972年にリード・ギタリストとしてジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、ピーター・クリスのオーディションを受けており、このバンドが後のキッスとなっている。

エース・フレーリーは薬物乱用に苦しんでいたこととバンドの方向性をめぐる緊張の高まりが重なることとなって、1982年にソロ活動に専念するためバンドを脱退している。その後はソロ活動に乗り出して、数々のアルバムをリリースしており、2024年には『10000ヴォルツ』をリリースしており、カヴァー・アルバムの第3弾にも取り組んでいた。

1996年にエース・フレーリーはキッスに再加入しており、1998年に発表されたアルバム『サイコ・サーカス』にも参加している。2001年にフェアウェル・ツアーを締めくくり、2002年にソルトレークシティ五輪でパフォーマンスを出演した後、エース・フレーリーはキッスを再び脱退している。その後にキッスの活動に復帰したのは2018年10月に行われたキッス・クルーズで数曲演奏した一度だけだった。

エース・フレーリーとジーン・シモンズの関係は特に不安定なことで知られ、2019年にジーン・シモンズはエース・フレーリーがバンドに参加しないのは薬物のためだと語っている。しかし、エース・フレーリーは当時の時点で12年間薬物はやっていないとして、「自分の意志で脱退した。というのも、ジーン・シモンズとポール・スタンレーはコントロール・フリークで、信用できず、一緒に仕事をするのが難しすぎたからだ」と語っている。

エース・フレーリーの訃報を受けて、トゥールのメイナード・ジェームス・キーナン、パール・ジャムのマイク・マクレディ、ナイル・ロジャース、スティーヴ・ヴァイ、アリス・クーパーらが追悼の意を表している。

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