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ジャズ・ドラマーのジャック・ディジョネットが亡くなった。享年83歳だった。
ジャック・ディジョネットは現地時間10月26日にニューヨーク州キングストンの病院でうっ血性心不全のため亡くなったと『ニューヨーク・タイムズ』紙は報じている。
ジャック・ディジョネットの遺族は訃報についてソーシャル・メディアで次のように述べている。「大きな悲しみと共にジャック・ディジョネットが亡くなったことを発表します。彼はニューヨーク州キングストンの病院で穏やかに亡くなりました。彼は妻、家族、近い友人に囲まれていました。ジャック・ディジョネットはNEAジャズ・マスターズでした。彼の功績は生き続けるでしょう」
ブルーノート・レコードはジャック・ディジョネットについて「史上最高のミュージシャンの一人」と評しており、マッコイ・タイナーの息子は「ジャズ・ドラムとピアノの両方において力強い原動力であり、革新的な名手でした」と評している。
ドラマーのヴィニー・カリウタは「巨人にして英雄だった」として「ユニークで、見事なほどクリエイティヴで、美しい音楽的声を持つ人だった。この人物は私たち全員に大きな影響を与えてくれました」と述べている。
ジャック・ディジョネットは1941年にシカゴの人種隔離された地域で生まれた。彼は5〜6歳の時に地元の教師によって音楽に触れ、叔父のロイ・ウッドが家でかけていたデューク・エリントンやビリー・ホリデイといったジャズ・レコードに囲まれて育ちました。
ロイ・ウッドがシカゴの白人ラジオ局で初の黒人ニュースアナウンサーになったことで、ジャック・ディジョネットは多くのジャズ・レコードに触れる機会を得て、ドゥーワップを歌ったり、ダンスバンドで演奏したりするようになった。しかし、友人がドラム・キットを自宅の地下室に置いていくまではドラムを始めることはなかった。授業に出席せず、高校を退学処分になったことで、ジャック・ディジョネットは音楽をより真剣に捉えるようになり、地元のクインテットに参加したり、ソロでキーボードによる公演を行うようになっている。
やがてサン・ラ&ヒズ・アーケストラのリハーサルを訪れ、演奏するように依頼されたことからジャック・ディジョネットは音楽シーンに飛び込むことになり、ジョン・コルトレーンのレギュラー・ドラマーが演奏に遅刻したことを受け、クラブのオーナーが「ジャック・ディジョネットに演奏させてみてくれ」と薦めたことから、ジョン・コルトレーンの演奏に参加することとなっている。
1960年代中盤にニューヨークに移ったジャック・ディジョネットはチャールズ・ロイド、マイルス・デイヴィス、キース・ジャレットといった偉大なジャズ・ミュージシャンにとって大きな役割を果たし、ハービー・ハンコックやアリス・コルトレーンなど、多くのミュージシャンと共演している。ジャック・ディジョネットはマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』アンサンブルに参加して、1971年までレギュラー・メンバーとして参加している。
ジャック・ディジョネットは57歳の妻であるリディア、ファラーとミニヤという二人の娘を残している。
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