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キッスのエース・フレーリーは死因に関する調査が始まったことが明らかになっている。
キッスの結成メンバーであるギタリストのエース・フレーリーは現地時間10月16日にニュージャージー州モリスタウンで亡くなっている。享年74歳だった。
エース・フレーリーは自身のスタジオで転倒して、脳出血があったと報じられている。エース・フレーリーは今月ツアーの残りの日程をキャンセルすることを発表していた。
今回、『TMZ』はニュージャージー州の検視官がギタリストの死因調査を開始したと報じている。モリス郡検視局の担当者は、検視は行われなかったものの、エース・フレーリーは外傷検査と薬物検査を受けていると語っている。
死因は薬物検査の報告書が完成した後に数週間以内に発表される予定となっている。
遺族は訃報の際に以下の声明を発表している。「完全に打ちひしがれて、胸を痛めています。最後の瞬間は幸運にも彼がこの世を去る時、愛情深く、思いやりのある、穏やかな言葉、思い、祈り、そして思いで包むことができました。最高の思い出、笑い声、そして彼が他の人々に与えた強さと優しさを大切にしていこうと思います。彼の死が与える影響は大きなものとなり、理解を超えたものにさえなるでしょう。彼の輝かしい人生の功績を振り返りながら、エース・フレーリーの思い出は永遠に生き続けていくでしょう」
ポール・スタンレーとジーン・シモンズは以下の声明を発表している。「エース・フレーリーの訃報に大きなショックを受けています。バンドの歴史において最も形成期と言える時期に欠かすことのできなかった、かけがいのないロック・ソルジャーでした。彼は常にキッスのレガシーの一部であり続けます。妻のジャネット、娘のモニーク、世界中のファンを含めた彼を愛する人々にお悔やみを申し上げます」
1951年4月27日にポール・ダニエル・フレーリーとしてブロンクスで生まれたエース・フレーリーはいくつかの地元のバンドで活動した後、1972年にリード・ギタリストとしてジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、ピーター・クリスのオーディションを受けており、このバンドが後のキッスとなっている。
エース・フレーリーはキッスのメンバーとして「スペース・エース」のペルソナを背負い、1974年にセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースしている。同作に収録の“Cold Gin”はエース・フレーリーが作曲を手掛けている。その後、『地獄への接吻』 、『地獄の軍団』、『地獄のロックファイアー』、伝説的なライヴ・アルバム『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』といった数々の名作に参加して、1982年までキッスに在籍している。
1978年に同日リリースされたメンバーによる4枚のソロ・アルバムでは『エース・フレーリー』が最も売れた作品となっている。同作にはハローの“New York Groove”のカヴァーが収録されている。
エース・フレーリーはアルバム『暗黒の神話』で後任としてヴィニー・ヴィンセントが加入する形でキッスを脱退している。その後はソロ活動に乗り出して、数々のアルバムをリリースしており、2024年には『10000ヴォルツ』をリリースしており、カヴァー・アルバムの第3弾にも取り組んでいた。
1996年にエース・フレーリーはキッスに再加入しており、1998年に発表されたアルバム『サイコ・サーカス』にも参加している。2001年にフェアウェル・ツアーを締めくくり、2002年にソルトレークシティ五輪でパフォーマンスを出演した後、エース・フレーリーはキッスを再び脱退している。その後にキッスの活動に復帰したのは2018年10月に行われたキッス・クルーズで数曲演奏した一度だけだった。
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