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キッスのジーン・シモンズは亡くなったエース・フレーリーについてX/ツイッターで改めて追悼の意を表明している。

エース・フレーリーは自身のスタジオで転倒したために脳出血によって10月16日に亡くなったと報じられている。享年74歳だった。

遺族は以下の声明を発表している。「完全に打ちひしがれて、胸を痛めています。最後の瞬間は幸運にも彼がこの世を去る時、愛情深く、思いやりのある、穏やかな言葉、思い、祈り、そして思いで包むことができました。最高の思い出、笑い声、そして彼が他の人々に与えた強さと優しさを大切にしていこうと思います。彼の死が与える影響は大きなものとなり、理解を超えたものにさえなるでしょう。彼の輝かしい人生の功績を振り返りながら、エース・フレーリーの思い出は永遠に生き続けていくでしょう」

今回、ジーン・シモンズはX/ツイッターで次のように投稿している。「胸を痛めています。エース・フレーリーが亡くなりました。誰もエース・フレーリーの偉業にはかないません。彼がファンを愛していたことはよく分かっています。彼は何度も話してくれました。さらに悲しいのは、12月に行われる授賞式でケネディ・センター名誉賞を受賞するまで生きられなかったことです。エース・フレーリーは永遠のロック・ソルジャーでした。彼の功績がずっと生き続けますように」

ジーン・シモンズはポール・スタンレーと連名で以下の声明を発表している。「エース・フレーリーの訃報に大きなショックを受けています。バンドの歴史において最も形成期と言える時期に欠かすことのできなかった、かけがいのないロック・ソルジャーでした。彼は常にキッスのレガシーの一部であり続けます。妻のジャネット、娘のモニーク、世界中のファンを含めた彼を愛する人々にお悔やみを申し上げます」

エース・フレーリーは今月ツアーの残りの日程をキャンセルすることを発表していた。当時は健康状態の深刻さについては明らかにされていなかったが、自身のスタジオで転倒したことがきっかけとなって、10月16日に亡くなっている。

1951年4月27日にポール・ダニエル・フレーリーとしてブロンクスで生まれたエース・フレーリーはいくつかの地元のバンドで活動した後、1972年にリード・ギタリストとしてジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、ピーター・クリスのオーディションを受けており、このバンドが後のキッスとなっている。

エース・フレーリーはキッスのメンバーとして「スペース・エース」のペルソナを背負い、1974年にセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースしている。同作に収録の“Cold Gin”はエース・フレーリーが作曲を手掛けている。その後、『地獄への接吻』 、『地獄の軍団』、『地獄のロックファイアー』、伝説的なライヴ・アルバム『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』といった数々の名作に参加して、1982年までキッスに在籍している。

1978年に同日リリースされたメンバーによる4枚のソロ・アルバムでは『エース・フレーリー』が最も売れた作品となっている。同作にはハローの“New York Groove”のカヴァーが収録されている。

エース・フレーリーはアルバム『暗黒の神話』で後任としてヴィニー・ヴィンセントが加入する形でキッスを脱退している。その後はソロ活動に乗り出して、数々のアルバムをリリースしており、2024年には『10000ヴォルツ』をリリースしており、カヴァー・アルバムの第3弾にも取り組んでいた。

1996年にエース・フレーリーはキッスに再加入しており、1998年に発表されたアルバム『サイコ・サーカス』にも参加している。2001年にフェアウェル・ツアーを締めくくり、2002年にソルトレークシティ五輪でパフォーマンスを出演した後、エース・フレーリーはキッスを再び脱退している。その後にキッスの活動に復帰したのは2018年10月に行われたキッス・クルーズで数曲演奏した一度だけだった。

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