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ディアンジェロは訃報を受けて、多くのミュージシャンやアーティストから追悼の声が寄せられている。
ディアンジェロは10月14日の朝に膵臓ガンとの闘病を経て、亡くなったことが発表されている。
遺族は以下の声明を発表している。「家族の輝かしい星が現世での光を消すことになりました。ガンとの長く勇敢な闘いを経て、世界中のファンにディアンジェロとして知られるマイケル・ディアンジェロ・アーチャーが天国に召され、2025年10月14日にこの世を去ったことを胸を痛めつつも発表します」
「悲しくも家族とは愛しい思い出のみを残してくれましたが、彼が残した桁外れの感動的な音楽という遺産には永遠に感謝しています。この困難な時期はプライバシーに御配慮いただければと思いますが、みなさまと共に彼の死を悼み、彼が世界に残してくれた曲というギフトを称えたいと思います」
ビヨンセは訃報を受けて、自身のサイトでディアンジェロを「ネオ・ソウルのパイオニア」と評している。「あなたの美しい音楽、あなたの声、あなたのピアノの腕前、あなたのアーティスト性に感謝しています。あなたはネオ・ソウルのパイオニアであり、それはリズム&ブルースを永遠に変えることになりました。私たちは決してあなたを忘れないでしょう」
ナイル・ロジャースは初めて会った時のことをX/ツイッターで振り返っている。「友人のゲイリー・ハリスがニューヨークの私のアパートにディアンジェロというミュージシャンを連れてきたんだ。彼は持ってきた音楽をどうすればいいのか考えていた。私はすべてのカットを聴いた。敬意を表してというだけでなく、一服していたんだ。会った最後に彼は尋ねてきた。『これをどうすればいいですか?』ってね」
「昨日のことのように覚えている。私は『出せばいい。完璧だよ』と言ったんだ。彼は本当のアーティストだったから、よくする方法を探らずにはいられなかったのだろう。約1年後にラジオでその曲の一つを聴いた。まさに天才で、私に聴かせてくれたものそのままだった。いまだにオリジナルのカセットテープを持っているよ」
My friend Gary Harris brought this musician named D'Angelo over to my NYC apt. He was trying to figure out what to do with the music he'd brought with him. I listened to every cut…not just out of respect but because it was smoking. At the end of the encounter he asked me, "What… pic.twitter.com/4KjOKLswP9
— Nile Rodgers (@nilerodgers) October 14, 2025
ローリン・ヒルは次のように投稿している。「あなたともっと一緒に過ごせなかったことを後悔しています。あなたの紛れもない美しさと才能はこの世のものではありません。光と神の恵みを切望するこの世界では、この世のものではない存在は守られるべきです。あなたはその才能で心を動かし、奮い立たせ、感激させ、時には他の人々を行動へと駆り立てることになりました」
「あなたはどちらか一方しか持てないと考えていた世代に向けて、黒人男性の強さと感受性の融合を思い描いていました」
ジェイミー・フォックスは次のように述べている。「初めてあなたの音楽を聴いた時のことを覚えている。この人は誰であれ聖なる人だと思ったんだ。そしてやっと会えることになった時、自分たちの時代で最も素晴らしいミュージック・ビデオを観た時と同じように、圧倒された。この人のコンサートを観なければと思った。ハウス・オブ・ブルースで観られる機会があった時に、あなたは出てきてすぐに本腰を入れてみせた。あなたの声はシルキーで、非の打ち所がなかった。あなたのスタイルと風格を心から羨ましいと思った。その才能に純粋に畏怖の念を抱いていた。楽器を自在に操り、あらゆる音、あらゆる曲でその才を発揮していた」
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーはインスタグラムで次のように述べている。「最も好きな人物の一人であり、彼のレコードは何度も聴いた。ここ30年以上にわたって彼ほどファンキーな音楽を作った人はいない。彼と知り合いではないが、彼の音楽には畏敬の念を持っていた。なんて貴重で美しい声と比類なきソングライティングへのアプローチだろう。素晴らしいミュージシャンだ」
タイラー・ザ・クリエイターは訃報を受けてモノクロの写真を投稿していたが、インスタグラムで改めて次のように述べている。「2000年3月6日、9歳の誕生日にサウスベイ・ギャラリアのサム・グッディ・ギャラリーを訪れた。誕生日で20ドルを持っていて、私の目は一つのものに注がれていた。ディアンジェロの『ヴードゥー』だ。あの時に『ヴードゥー』を手に入れることができて本当にラッキーだった。彼のアートを享受できた私たちは本当にラッキーだった。自分の音楽的なDNAの形成にはこの人物が一役を買うことになった。ずっと感謝している。無事に旅を」
ディアンジェロは1974年2月11日にヴァージニア州リッチモンドで生まれ、子どもの頃に音楽に興味を持つようになった。10代はグループで活動した後、1993年にEMIと契約して、ブラック・メン・ユナイテッドの“U Will Know”を手掛けている。
1995年にデビューアルバム『ブラウン・シュガー』をリリースして注目を集め、アルバムはアメリカでプラチナ・ディスクを獲得している。2000年発表の『ヴードゥー』は批評家から絶賛を受け、全米1位を記録し、2つのグラミー賞を獲得している。ディアンジェロは2014年にサード・アルバム『ブラック・メサイア』をリリースしている。
今年5月、ディアンジェロは手術後の「予期せぬ医療の遅れ」によってフィラデルフィアで開催されたルーツ・ピクニック・フェスティバルへの出演をキャンセルしていた。
ディアンジェロは息子のマイケル、モロッコ、娘のイマニという3人の子どもを残している。マイケルの母親であるソウル・シンガーのアンジー・ストーンは交通事故で今年3月に亡くなっている。享年63歳だった。
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