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ジミー・ペイジはザ・ヤードバーズの結成メンバーであるクリス・ドレヤに追悼の意を表している。享年79歳だった。

クリス・ドレヤには多くのミュージシャンから追悼の声が寄せられている。クリス・ドレヤはザ・ヤードバーズの中心メンバーで、“For Your Love”や“Shapes of Things”といったヒット曲に参加してきた。

訃報は現地時間10月2日に義理の姉妹であるミュリエル・レヴィによって発表されている。「深い悲しみと共に伝説的なバンド、ザ・ヤードバーズの元メンバーで、リズム・ギタリストにしてベーシストだったクリス・ドレヤが何年も健康問題を抱えた後に亡くなったことを発表します」

「ずっと彼の面倒をみてきた姉妹のケイト、娘のジャッキーと共に痛みを分かち合っています。安らかに眠ってください」

クリス・ドレヤは1992年にロックの殿堂入りを果たしており、ロックの殿堂は「フィードバックとディストーションにおける革新」に敬意を表し、短命ながらも多大な影響力を持った在籍期間中に、サイケデリック・ロック、プログレッシブ・ロック、パンクといった当時急成長を遂げつつあったジャンルに多大な影響を与えたと賛辞を寄せている。

ロックの殿堂は1960年代初頭にバンドに加入して以来、クリス・ドレヤが1966年発表の『ロジャー・ジ・エンジニア』に収録されている“Over Under Sideways Down”や『リトル・ゲームズ』に収録されている楽曲など、バンドの楽曲を共作してきたことにも触れている。

ザ・ヤードバーズの元メンバーだったジミー・ペイジもインスタグラムで二人の写真を投稿して、次のように追悼の意を表している。「ミュージシャンのクリス・ドレヤが亡くなったと今日聞きました。彼は名高いザ・ヤードバーズでリズム・ギターとベースを情熱的に演奏していました」

「しばらく会っていませんでいたが、会っておけばよかったと思います。安らかに、クリス」

本名をクリストファー・ワレンティ・ドレヤというクリス・ドレヤはキングストン・アポン・テムズで育ち、10代の頃にロックンロール・ミュージックに夢中になっている。彼の兄弟はザ・ヤードバーズのリード・ギタリストとなるアンソニー・“トップ”・トプハムとクラスメートだった。

1963年、クリス・ドレヤとアンソニー・“トップ”・トプハム、ジム・マッカーティ、キース・レルフ、ポール・サミュエル=スミスはメトロポリタン・ブルース・カルテットを結成しており、後にザ・ヤードバーズとなっている。

クリス・ドレヤはリズム・ギタリストとして活動を始めるが、ポール・サミュエル=スミスが脱退して、ジミー・ペイジが加入したのを受けてベーシストとして活動している。その前にはエリック・クラプトン、ジェフ・ベックもリード・ギタリストとしてバンドに参加している。

アンソニー・“トップ”・トプハムに代わってエリック・クラプトンが加入すると、バンドの評判はロンドンのクラブ・サーキットで高まり、クローダディで行われたザ・ローリング・ストーンズの連続公演を引き継ぐこととなっている。

エリック・クラプトンがジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ加入のために脱退すると、ジェフ・ベックが加入しており、“Evil Hearted You”、“Still I’m Sad”、“Over Under Sideways Down”といった楽曲やアルバム『ロジャー・ジ・エンジニア』で、最も成功を収めた時期を迎えている。クリス・ドレヤは『ロジャー・ジ・エンジニア』のアルバム・ジャケットのイラストも手掛けている。

クリス・ドレヤは長年にわたってフォトグラファーとしても活動しており、ボブ・ディラン、ティナ・ターナー、レッド・ツェッペリンらを撮影している。ジミー・ペイジはザ・ヤードバーズの解散後、レッド・ツェッペリンを結成して、クリス・ドレヤをベーシストとして誘ったが、クリス・ドレヤはそれを断って、フォトグラファーの道に進んでいる。

クリス・ドレヤは1980年代にジム・マッカーティやポール・サミュエル=スミスとボックス・オブ・フロッグスも結成している。

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