AbbeyRoad

ザ・ビートルズのアルバムのプロデュースを手がけたことで知られるプロデューサーのジョージ・マーティンが亡くなったことを受けて、アビイ・ロード・スタジオも公式の声明を発表している。

報道によれば、ジョージ・マーティンの死因についてはまだ明らかにされていないが、遺族は事実を認めており、現在はプライバシーへの配慮を求めている。

アビイ・ロード・スタジオによる声明の全文訳は以下の通り。

http://www.abbeyroad.com/news/2096

「アビイ・ロード・スタジオは、サー・ジョージ・マーティンが昨日90歳で亡くなったという悲しい知らせを聞き、ジョージ・マーティンの遺族に最も深い哀悼の意を表明したいと思います。サー・ジョージは、そのクリエイティヴな閃きと、革新、情熱によって音楽レコーディングを変えました。そして、あのような非常に才能に溢れ、魅力的で、優しい人を失ってしまったことについて我々は深い悲しみを表明したいと思います。我々は、サー・ジョージの才能溢れる遺産がアビイ・ロード・スタジオで永遠に生き続けるよう懸命に守っていきます。そして、我々は彼の物語に参加できたことを非常に光栄に思っています。

サー・ジョージ・マーティン(1926年1月3日 – 2016年3月8日)」

ジョージ・マーティンと彼の息子であるジャイルズの代理人を務めるアダム・シャープは次のようにコメントを発表している。「3月8日火曜日の夜に、サー・ジョージ・マーティンは自宅で安らかに息を引き取ったことをご報告いたします。ご家族は、皆様から贈られるお悔やみの言葉に感謝していらっしゃいます」

「70年間に渡るキャリアで、彼は、音楽における最高の創造的才能がある人物の一人であり、最期まで紳士だったと世界中に認められてきました。喪に服している間、ご家族はプライバシーを尊重してくださるようお願いしていらっしゃいます」

ジョージ・マーティンの代理人を務めるCAマネージメントも次のように声明を発表している。「サー・ジョージ・マーティンは1950年にEMIのパーロフォン・レーベルでレコードのプロデュースを始めました。彼は、ピーター・セラーズ、スパイク・ミリガンやビヨンド・ザ・ブリンジなどのコメディ・レコーディングで注目を集め、1961年にはテンペラス・セブンの楽曲で初めての1位を獲得しました。1962年にザ・ビートルズとの契約にサインをし、メンバーと一緒にポピュラー・ミュージックのレコーディングに革命を起こす一助を担っていました」

「70年間に渡るキャリアで、彼は、音楽における最高の創造的才能がある人物の一人であり、最期まで紳士だったと世界中に認められてきました。喪に服している間、ご家族はプライバシーを尊重してくださるようお願いしていらっしゃいます」

「5人目のザ・ビートルズ」と呼ばれたジョージ・マーティンは、ザ・ビートルズ初期の頃からプロデュースを行い、1962年に最初の契約を結んでいる。シングル曲 “Love Me D”から1969年のアルバム『アビイ・ロード』まで作品に携わっていた。

ジョージ・マーティンは1926年にロンドンで生まれ、1947年に海軍を除隊後、1950年にアビー・ロード・スタジオへアルバイトとして入社し、ジャズやラウンジ、コメディのレコードをパーロフォンでレコーディングし、最終的にA&Rのトップとなっている。ザ・ビートルズのプロデュースにおいては「5人目のビートル」と呼ばれ、1996年にナイトの称号を与えられている。

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