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クイーンのギタリストであるブライアン・メイは亡くなったプロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーに追悼の意を表している。

『戦慄の王女』、『クイーンII』、『シアー・ハート・アタック』、『オペラ座の夜』というクイーンの最初の4枚のアルバムをプロデュースしたロイ・トーマス・ベイカーは「アリゾナ州レイク・ハヴァス・シティの自宅で亡くなった」と発表されている。

ブライアン・メイはロイ・トーマス・ベイカーの往年の写真を複数投稿して、次のように述べている。「ロイ・トーマス・ベイカーが亡くなったと聞いて、非常に悲しんでいます。ロイ・トーマス・ベイカーは初期のクイーンの音楽においてプロダクションで大きな役割を果たしてくれました」

「ロイ・トーマス・ベイカーとの写真はかなり貴重だということなんですが、当時の妻であるクリッシーと私がノーフォークのコテージにロイと妻のバーバラを訪ねたときの3D写真を見つけることができました。1973年だったと思います。いちご狩りに行ったんですが、ロイ・トーマス・ベイカーは立体写真に興味を持っていって、薪の後ろでポーズを取ってくれました。テニスの写真は『ミュージック・ライフ』の日本人ジャーナリストが訪ねてきた日にリッジ・ファームで撮ったものです」

「ロイ・トーマス・ベイカーは最初期から『オペラ座の夜』までプロダクション・チームに参加してくれて、『華麗なるレース』では離れましたが、『ジャズ』ではもう一度手を組みました」

「マイク・ストーンのエンジニアリングと共に“Bohemian Rhapsody”へのロイ・トーマス・ベイカーの貢献は忘れられることはないでしょう。後年は連絡しなくなってしまったことを後悔しています。最近は人生の進み方について友情の絆を取り戻すのに十分な時間があると思っていると、突然遅すぎることになってしまったりします」

「私たちのためにやってくれた素晴らしい仕事と一緒に経験した楽しさに感謝しています。安らかに眠ってください」

ロンドンのハムステッドで生まれたロイ・トーマス・ベイカーはガス・ダッジョンやトニー・ヴィスコンティの第二エンジニアとしてキャリアを始め、デヴィッド・ボウイ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・フーらのレコーディングに携わり、その後、当時は未知のバンドだったクイーンを手掛けることとなっている。

クイーンのドラマーであるロジャー・テイラーはかつてロイ・トーマス・ベイカーについて次のように語っている。「彼はかなりの規律と多くの皮肉、太るようなデザートへの欲求をもたらしてくれた。彼は食べ物が好きだったんだ。すごく規律正しい人で、最初は厳しかった……彼はいつも正しい判断を下してくれたよ。テイクは正しいものでなければならないからね」

クイーンの成功によってロイ・トーマス・ベイカーはCBSミュージックと複数枚のアルバム・プロデュース契約を結び、その後、ザ・カーズとのコラボレーションが始まり、4枚のアルバムをプロデュースしている。

キャリアの後半でロイ・トーマス・ベイカーはザ・ダークネスの『ワン・ウェイ・チケット・トゥ・ヘル…アンド・バック』、スマッシング・パンプキンズの『ツァイトガイスト』といった作品も手掛けている。

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