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AC/DCのオリジナル・シンガーであるデイヴ・エヴァンスはバンド名を思いついた時のことを振り返っている。

デイヴ・エヴァンスはマルコム・ヤングとアンガス・ヤングの兄弟、ドラマーのコリン・バージェス、ベーシストのラリー・ヴァン・クライトと共に1973年の結成時のバンドに参加している。デイヴ・エヴァンスは最初のライヴでシンガーを務め、2枚のシングル“Can I Sit Next To You Girl”と“Baby, Please Don’t Go”にも参加している。

デイヴ・エヴァンスは1974年10月にバンドを脱退しており、1980年に亡くなるまで最初の6枚のアルバムに参加したボン・スコットが後任として加入している。

今回、デイヴ・エヴァンスは新たなインタヴューで初期の日々とバンド名が決まった時のことを振り返っている。

デイヴ・エヴァンスによれば、バンドの結成に関与していたアラン・キサックがオーストラリアのナイトクラブ、チェッカーズで大晦日の出演枠を取ってきた時、バンドはまだ名前がなく、一緒に曲を書いている状態だったという。

「数週間しかなかったからバンド名が必要になったんだ。自分たちの間でバンド名を出し始めたんだけど、意見がまとまるものがなかった」とデイヴ・エヴァンスは説明している。「私もいくつかいい名前を出してみたんだけど、気に入ってもらえなかったね」

「次のリハーサルまでにそれぞれ3つ考えてきて、帽子に入れて、一つを無作為に選んで、どんなものにせよ、その名前にしようなんて言っていたんだ」

翌日、デイヴ・エヴァンスは3つの名前を考えていったが、マルコム・ヤングが親戚から「AC/DC」という名前を提案されたことを受けて、バンドはそのアイディアを放棄することにしたという。

「到着したらマルコム・ヤングが『義理の姉さんが名前を提案してくれたんだ。AC/DCっていうんだけどさ』と言っていてね。覚えやすい名前だと思った。いろんな電化製品に書いてあるからね」

「AC/DCは直流/交流という意味で、多くの電化製品がAC/DCだった。『無料の広告になるし、言いやすいし、パワーという意味でもある』と思った。それがあっという間に頭を駆け巡って、『いいね』と言ったよ」

デイヴ・エヴァンスは次のように締めくくっている。「マルコム・ヤングが私たちを見て、『AC/DCという名前にするのはどうだい?』と言ったら、全員が手を挙げた。満場一致だった。みんなで握手して、AC/DCになった。思いついていた3つの名前は家に帰って、全部忘れることにしたよ」

デイヴ・エヴァンスがAC/DCの初期について振り返るのは初めてではなく、これまでもインタヴューでバンドの活動について語っている。

脱退することになった経緯についてデイヴ・エヴァンスは次のように語っている。「私たちは全員若かった。自分たちの野心も果てしなかった。自分の場合、『バンドをやろう』なんて思ったこともなかった。人生を通して、ずっと歌っていたんだ。物心ついた時から歌っていた。バンドにいるからとか、バンドを辞めたからとか、それで歌を止めることはなかったんだよ」

デイヴ・エヴァンスはボン・スコットとは二人だけで会話をしたとも明かしている。「二人だけで話をしたんだ。今後も内容を明かすことはない。亡くなる時もボン・スコットに何があったのかは気づいていたから、驚かなかったよ」

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