ビー・ジーズの最初のドラマーであるコリン・ピーターセンが亡くなった。享年78歳だった。
訃報は現地時間11月18日にコリン・ピーターセンが所属していたベスト・オブ・ザ・ビー・ジーズのフェイスブックによって発表されている。死因については明らかにされていない。
「重い心境と共に親愛なる友人であるコリン・“スマイリー”・ピーターセンが亡くなったことを発表致します」と声明には記されている。「彼は私たちの人生を豊かなものにして、愛と気遣いと尊敬をもって私たちのグループを束ねてくれました。彼の輝くような笑顔と深い友情がなければ、私たちはどうすればいいのか分かりません。大好きでした、コリン。安らかに」
コリン・ピーターセンはバリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブによるビー・ジーズに1966年から参加しており、オーストラリアからイギリスに渡った後も含めて初期のレコーディングに貢献している。
コリン・ピーターセンが最初に参加した音源は1966年発表のアルバム『スピックス・アンド・スペックス』で、ポリドール/アトコからリリースされた4枚のアルバムすべてに参加している。コリン・ピーターセンのドラムは“To Love Somebody”と“Holiday”といったヒット曲でも聴くことができる。
コリン・ピーターセンが最後に参加したビー・ジーズのアルバムは1970年発表の『キューカンバー・キャッスル』で、マネージャーのロバート・スティグウッドとの不和によりグループを脱退している。その後、コリン・ピーターセンはシンガーソングライターのジョナサン・ケリー&ティム・スタッフェルと共にハンピー・ボングを結成するが、短期間で解散している。
コリン・ピーターセンは1969年にマネージメント会社を妻のジョアン・ニューフィールドと共に始めており、ジェイミーとベンという2人の息子をもうけている。
ビー・ジーズに参加する前、コリン・ピーターセンは子役として1956年公開のオーストラリア映画『スマイリー』にも出演している。
ビー・ジーズの脱退から50年以上を経て、コリン・ピーターセンはベスト・オブ・ザ・ビー・ジーズに加入して、オーストラリアでツアーを行っていた。
2021年、コリン・ピーターセンは『ABCオーストラリア』に次のように語っている。「みんなが今も胸に抱いてくれているものを作ることに参加できたんだ」
ベスト・オブ・ザ・ビー・ジーズのパブリシストだったスー・カミレリはコリン・ピーターセンについて「本当に特別で、愛されていました」と述べている。
「彼の洞察力とプロフェッショナリズムはステージ上でもそれ以外でも高く評価されていました。彼は独自の存在で、私たちと一緒にツアーをしたり、スポットライトを浴びるのが大好きでした」
コリン・ピーターセンは現地時間11月16日までオーストラリアのクイーンズランドでバンドと共に最後の公演を行っていた。
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