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デヴィッド・ボウイのいとこが彼の少年時代を振り返る手紙を執筆している。

デヴィッド・ボウイは、自身の69歳の誕生日で最後のアルバム『★(ブラックスター)』の発売日の2日後となる1月10日にガンで逝去している。

デヴィッド・ボウイのいとこのクリスティーナ・アマディーアスは、英『エコノミスト』誌にてデヴィッド・ボウイとの成長の思い出などを綴っている。

英『エコノミスト』誌の編集者に寄せられたこの手紙は「ミュージカル・チャイルド」というタイトルが付けられ、デヴィッド・ボウイがエンターテイナーとしての夢を叶えられるよう、父親がどのようにして「彼が幼児の時から」後押ししてきたかを明かしている。

彼女は、デヴィッド・ボウイが最初に手にした楽器は「プラスチック製のサックス、ギターと木琴」であったと思い起こし、「また彼はほとんどの子供が持っていなかったレコード・プレーヤーも持っていた」としている。

クリスティーナ・アマディーアスはこう続けている。「彼が11歳の時、私たちはビル・ヘイリー、ファッツ・ドミノ、そしてエルヴィス・プレスリーのレコードを聴きながら、取り憑かれた小妖精のようにダンスをしたわ。デヴィッドの父は彼をロイヤル・バラエティ・パフォーマンスの歌い手や他のパフォーマーに会わせるために連れ出したりしていたの」

「デヴィッドは、1950年代後半にデイヴ・キング、アルマ・コーガン、そしてトミー・スティールといったアーティストに紹介されたのよ。『私の息子もエンターテイナーになるんです。そうだろ、デヴィッド?』『うん、パパ』ってね。デヴィッドは、誇らしげに頰を紅潮させて子供っぽい甲高い声で頷いたものだわ」

「ジョン叔父さんは、デヴィッドが大成功を収めるまで生きていなかったけれど、そうなることを信じて疑わなかった。私たちの愛されるデヴィッドは、父の夢を想像をはるかに超えて実現したのよ」

手紙の全文はこちらから見ることができる。

http://www.economist.com/news/letters/21688839-letters-editor

先日、エルトン・ジョンは亡くなったデヴィッド・ボウイと、最後は決して仲が良くなかったことを明かしている。

『イヴニング・スタンダード』紙のインタヴューに答えたエルトン・ジョンは、デヴィッド・ボウイとの友情の変遷について語っている。「デヴィッドと僕は最後は親友ではなかったんだよね。本当に良き友人として付き合いが始まって、マーク・ボランなんかとよくつるんで、ゲイ・バーに行ったりしてね、でも離れていくことになったしまったと思ってる」

そして、自身に対してかけられた罵りの言葉についても明かしている。「デヴィッド・ボウイはかつて米『ローリング・ストーン』誌のインタヴューで、僕のことを“ロックンロールの安手の男娼”と呼んだことがあってね。それを見て、ちょっと自惚れてんなと思ったんだ。彼は僕の性に合わなかったし、僕も彼の性に合わなかったんだよ」

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