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マドンナは弟のクリストファー・チッコーネが享年63歳で亡くなったことを受けて追悼の意を表している。

クリストファー・チッコーネの訃報は家族の代理人によって発表されており、現地時間10月4日にミシガン州にてガンで亡くなったことが明らかにされている。

クリストファー・チッコーネの2歳年上であるマドンナはインスタグラムに往年の様々な次期に撮影された2人の写真を投稿しながらメッセージを投稿している。

マドンナは次のように述べている。「弟のクリストファーが亡くなった。彼は長い間、自分にとって最も近い人間だった。私たちの絆を説明するのは難しいけれど、それは私たちが変わった存在で、社会は現状に従わない私たちに厳しい目を向けるという理解から大きくなっていった」

「私たちは互いの手を取り合い、子ども時代の狂気を踊り抜けていった。事実、ダンスは私たちを結びつける接着剤のようなものだった。中西部の小さな街でダンスを発見したことが私を救い、弟もやるようになって、弟も救われた。私のバレエの先生もクリストファーという名前で、弟がゲイであることに安全な場所を作ってくれた。ゲイという言葉は私たちの暮らす場所では語られることも囁かれることもなかった」

「勇気を出してダンサーになるためにニューヨークに行くと、弟もついてきた。それで、もう一度互いの手を取り合って、ニューヨークの狂気を踊り抜けていった。私たちは飢えた獣のようにアート、音楽、映画をむさぼるようになり、そうしたものが爆発する震源地にいた」

「私たちはエイズ流行の狂気も踊り抜けた。葬儀にうかがい、涙して、踊りに行った」とマドンナは続けている。

クリストファー・チッコーネはマドンナのキャリアの初期からスタッフに加わり、1990年の「ブロンド・アンビション・ワールド・ツアー」ではアート・ディレクターを務め、1993年の「ざ・ガーリー・ショウ・ツアー」ではツアー・ディレクターを務めた。

「センスの良さでは弟はローマ法王のような存在で、彼の恩恵を得るためには指輪にキスをしなければならなかった。私たちはローマのカトリック教会、警察、保守的政治団体『モラル・マジョリティー』、芸術的自由を邪魔するあらゆる権威者に逆らうことになった。弟は私のそばにいて、彼は画家で、詩人で、夢想家だった。私は彼に憧れていた。彼は非の打ちどころのない趣味の良さで、舌鋒鋭く、私と対立することもあったけど、常に彼を許していた」

クリストファー・チッコーネは2008年に回想録『ライフ・ウィズ・マイ・シスター・マドンナ』を刊行しており、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーとなっている。本書でクリストファー・チッコーネは映画監督のガイ・リッチーと交際し、その後破局するまでのマドンナの苦悩について言及したことで、家族内に摩擦を引き起こしており、その結果、疎遠になったと見られていた。

「ここ数年はやさしいものではなかった」とマドンナは続けている。「しばらく話さなかったが、弟が病気になって、元に戻ることになった。彼ができるだけ生きていられるよう全力を尽くしたが、彼は最後には多くの痛みに苛まされることになった。もう一度、私たちは手を取り合い、目を閉じて、ダンスした。一緒に。もう苦しまなくていいのが嬉しい。彼のような人は現れないだろう。どこかで彼はダンスをしているに違いない」

クリストファー・チッコーネはアーティスト、インテリア・デザイナーとしても活動しており、ドリー・パートンの“Peace Train”、トニー・ベネットの“God Bless The Child”といったミュージック・ビデオも手掛けている。

マドンナについては2週間前にも義理の母であるジョーン・クレア・チッコーネが同じくガンで亡くなっている。一番上の兄であるアンソニーは2023年2月に亡くなっている。

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