ブラジルのボサ・ノヴァ&ジャズ界の伝説的ミュージシャンであるセルジオ・メンデスが亡くなった。享年83歳だった。
公式のソーシャル・メディアには9月5日に「穏やかに亡くなった」と記されている。「54年間、妻にして音楽的パートナーだったグラシーニャ・レポラーセ・メンデスは愛する子どもたちと共に彼を見送りました」
死因については発表されていないものの、新型コロナウイルスの長期的な影響により体調が悪化していたことは明かされている。
「家族はこの喪失を受け止めているところであり、葬儀と追悼式典に関する詳細は後日お知らせいたします」と声明は締めくくられている。
セルジオ・メンデスはブラジル音楽を広めて国際的な成功を収めており、ブラジルで史上最も成功したミュージシャンの一人であり続けている。彼が作曲した“Mas Que Nada”は1960年代にボサノヴァを世界中の聴衆に紹介したことで知られている。
70年に及ぶキャリアでセルジオ・メンデスは30枚以上のアルバムをリリースしており、3つのグラミー賞を受賞している。セルジオ・メンデスはアニメ映画『ブルー 初めての空へ』に提供した“Real in Rio”を共作したことで2012年のアカデミー賞にもノミネートされている。
セルジオ・メンデスはリオ・デ・ジャネイロ近郊のニテロイで1941年2月11日に生まれ、子どもの頃はクラシックのピアノを学び、ジャズへの興味を強く育むこととなっている。
1950年代にリオ・デ・ジャネイロのナイトクラブで演奏し始めた彼はボサ・ノヴァのバンド、セクステット・ボサ・リオを結成して、1961年にデビュー・アルバム『ダンス・モデルノ』をリリースしている。
セルジオ・メンデスはボサ・ノヴァとジャズのシーンでその名を知られるようになり、キャノンボール・アダレイなど、ブラジルを訪れた多くのアメリカのミュージシャンがセルジオ・メンデスをコラボレーターとして起用したほか、ハービー・マンはそれぞれのアルバムへの客演を行っている。
デビュー・アルバムをリリースした3年後、セルジオ・メンデスはロサンゼルスへと移り、キャピトル・レコーズと契約して、自身のバンドであるブラジル’65を結成している。
英語で歌うためにラニ・ホールとビビ・ヴォーゲルといったシンガーを起用して3枚のアルバムをリリースして、ブラジル’66と改名した後にシングル“Mas Que Nada”がリリースされており、同曲は2006年にブラック・アイド・ピーズと共に再レコーディングされている。
セルジオ・メンデスは70年代、80年代も音楽活動を続け、1983年にバリー・マンとシンシア・ワイルによって書かれた“Never Gonna Let You Go”をカヴァーして、大ヒットを記録している。
2000年代にはセルジオ・メンデスの音楽はアンダーグラウンドのラップ・シーンでサンプリングされるようになり、2006年発表のアルバム『タイムレス』はブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムがプロデュースを手掛け、エリカ・バドゥ、Qティップ、スティーヴィー・ワンダー、ジャスティン・ティンバーレイクらが参加している。
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