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オールマン・ブラザーズ・バンドの結成メンバーであるギタリストのディッキー・ベッツが亡くなった。享年80歳だった。

訃報は彼のマネージャーによって発表されており、米『ローリング・ストーン』誌にガンと慢性閉塞性肺疾患のために現地時間4月18日に亡くなったと述べている。

「伝説的なパフォーマーにしてソングライターで、バンドリーダーであり、家長であった彼はフロリダ州オスプレイの自宅で家族に囲まれて亡くなりました」と公式の声明には書かれている。「ディッキー・ベッツは伝説的な存在であり、彼を失ったことは世界規模で悔やまれるでしょう。この困難な時期には家族のプライバシーに御配慮いただければと思います。更なる情報は適切な時期に発表されます」

ディッキー・ベッツは1969年にオールマン・ブラザーズ・バンドでプレイし始め、デュアン・オールマンと共同でリード・ギタリストを務めていたが、1971年にデュアン・オールマンが亡くなってからは単独でリード・ギタリストを務めている。

ディッキー・ベッツは多作なソングライターでもあり、1973年発表の最大のヒット曲“Rambin’ Man”も彼が手掛けている。BBCの『トップ・ギア』でテーマ曲に起用されたインストゥルメンタル・ナンバー“Jessica”も彼が手掛けている。

公式の声明には次のように記されている。「深い悲しみと共にオールマン・ブラザーズ・バンドは結成メンバーであるディッキー・ベッツが健康状態の悪化を経て、フロリダ州サラソータの自宅で穏やかに亡くなったことを知りました」

「彼は人生において情熱的な人物で、音楽、作曲、釣り、狩猟、ボート、ゴルフ、空手、ボクシングなどに取り組んでいました。ディッキー・ベッツは興味を惹かれるものには何でも手を出し、得意としていました」

「ディッキー・ベッツは彼のブラザーであるデュアン・オールマン、ベリー・オークリー、ブッチ・トラックス、グレッグ・オールマン、ABBクルーであるツイッグス・リンドン、ジョー・ダン・ペティー、レッド・ドッグ、キム・ペイン、マイク・キャラハンと共に古い空飛ぶワインバゴに乗り込んで、みんなが聴くことになる音楽と共に世界をツアーしたんだ」

「家族であるどんな、デュアン&リサ、クリスティ&フランク、ジェシカ、キムにお悔やみを申し上げます。あなたは永遠に忘れられず、深く惜しまれることでしょう」

1943年12月12日にフォレスト・リチャード・ベッツとして生まれたディッキー・ベッツは5歳でウクレレを弾き始め、10代の頃には地元フロリダ州の数々のロック・バンドに参加しており、その中にはベリー・オークリーとやっていたセカンド・カミングも含まれている。

1969年、自身のバンドを拡大しようとしたデュアン・オールマンとグレッグ・オールマンはディッキー・ベッツとベリー・オークリーを誘っている。オールマン・ブラザーズ・バンドは最終的にジョージア州メイコンを拠点として、サザン・ロックを決定づけるサウンドを確立することとなった。ディッキー・ベッツとデュアン・オールマンは当時の標準的なリード・ギターとリズム・ギターの役割とは違った叙情的でメロディアスなジョイント・リード・ギター・サウンドを展開することとなった。

ジャム・バンドの長尺の即興演奏で知られ、カントリーとブルースの影響をクラシック・ロックの美学に融合させたオールマン・ブラザーズ・バンドは1971年発表のライヴ・アルバム『フィルモア・イースト・ライヴ』、1972年発表の『イート・ア・ピーチ』といった作品で商業的成功を収め、『イート・ア・ピーチ』はバイク事故で亡くなったデュアン・オールマンに捧げられている。

バンドは2014年まで散発的に活動を続け、1995年にはロックの殿堂入りを果たしている。

ディッキー・ベッツはリチャード・ベッツ、ディッキー・ベッツ&グレート・サザン、ディッキー・ベッツ・バンドといった名義でソロ・アルバムもリリースしている。

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