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ザ・ストーン・ローゼズの初代マネージャーで、パンク詩人としても活躍するギャリ―・ジョンソンが、自伝の中でデヴィッド・ボウイについて述べている。

彼の自伝『パンク・ロック・ストーリーズ・アンド・タブロイド・テイル』は、ニュー・ヘイヴン・パブリッシングから出版され、同名のアルバムもカーゴ・レコードから発売されるが、彼がこの自伝を執筆したのは、もちろんデヴィッド・ボウイが亡くなる前のことだったという。

ギャリ―・ジョンソンは、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』を見つけるまでは、サッカー選手のジョージ・ベストに心酔するサッカー狂の「向こう見ずな10代の若者」でしかなかったと説明している。

『ザ・デイリー・ミラー』紙に対して次のように語っている。「手に負えない悪ガキでいることをやめたんだ。サッカーのスパイクを捨てて、ギターを買った。ボウイが俺の人生を変えたんだ。バンドを結成したんだけど、歌うことはできなかった。パンク・バンドだったんだけど、ザ・バズ・キッズっていう名前だったんだ」

「俺は、それまで誰もやらなかったジョン・ライドンとジギー・スターダストが出会ったみたいなもののつもりだった。でも、みんなは俺の歌詞を気に入ってくれてね。それで、パンク詩人になって、パンク・バンドのサポートをしながら、英国中で詩の朗読リサイタルをやったんだ」

しかし、その後、彼はイギリスで最も偉大なバンドのマネージャーを務めることになる。

「ザ・ストーン・ローゼズがテープを送ってきて、俺はすごく気に入ったんだ。水曜日の夜にイアン・ブラウンと話をして、金曜日の夜にはマンチェスターでバンドと会ってたんだ」

「みんなで電車まで迎えに来てくれたよ。週末を一緒に過ごして、急速に仲を縮めた。火曜日に家に帰った時には、もう彼らとは親友のようだったよ」

イアン・ブラウンはギャリ―・ジョンソンについて次のように語っている。「俺たちはしょっちゅう彼の家に泊まってたね。ギャリーは同じ志を持った同士みたいなもので、いつもバンドと一緒にいたがったんだ。彼にとって、それがすべてだったんだよ。スモール・フェイセスの“Lazy Sunday”とか、セックス・ピストルズの“Anarchy In The UK”なんかをよく演奏して歌ってたな。彼はちょっとしたパーティー・アニマルでありながら、社会的良心を持った反逆者だった」

「俺たちが初めて曲を全国にリリースできたのは、ギャリーのお陰なんてだ。俺が彼にデモテープを送って、彼はそれを気に入って俺たちと話をするためにマンチェスターまで来てくれた。ギャリーはバンドが巨大に成長すると予感して、俺たち一人ひとりの顔が売れるようにキャンペーンを始めたんだ」

「彼が俺たちのキャリアをスタートさせてくれたんだ。そして、その後は、みんなが言うように、歴史になったんだ」

ギャリ―・ジョンソンはこうも話している。「俺は関係者を装って、ロンドンのあらゆる大物のパーティーに潜り込んで、デヴィッド・ボウイに会ったんだ。ボウイとセックス・ピストルズに会えたことで、俺はくだらないヤツでいるよりも、理由や目的をきちんともった反逆心のある男になりたいと思うようになったんだ」

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