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ザ・1975のマット・ヒーリーの母親であるデニス・ウェルチはバンドのファンの間では「聖母マリア」かのように思われていると語っている。

BBCニュースのインタヴューでデニス・ウェルチはザ・1975のマット・ヒーリーの母親として見られることについて語っている。

「息子のファンといると、『聖母マリアがいる。メシアに生を与えた女性だ』という感じなの」とデニス・ウェルチは説明している。「O2アリーナのホワイエで私に触れて泣き出す人もいた」

デニス・ウェルチは次のように続けている。「彼はそんなふうに英雄視されていて、私が彼に肉体を与えたという点で崇拝の念を抱かせるまでになっている。ヒステリックだけど、それを楽しむようにしているの」

デニス・ウェルチはザ・1975の楽曲“She Lays Down”が1989年にマット・ヒーリーを産んだ後に経験した産後うつを取り上げていることについても語っている。

デニス・ウェルチはあの曲を初めて聴いた時「胸が張り裂けそうだった」と語っている。「今聴いても、泣いてしまう」

デニス・ウェルチは数々のザ・1975のライヴで目撃されており、バンドについてソーシャル・メディアでも投稿を行っている。昨年、彼女はザ・1975のロンドン公演の楽屋でテイラー・スウィフトとフローレンス・ウェルチといる写真も投稿していた。同じツアーのブライトン公演ではファンに挨拶をして「エヴァ・ペロンのような瞬間」を満喫している。

昨年11月、デニス・ウェルチはマット・ヒーリーがザ・ローリング・ストーンズのサポート・アクトを務めたために自身の結婚式に出られなかったことを明かしている。「傷ついたけれど、全部理解したわ。私にとっても息子にとってもジレンマで、つらかったけど、『結婚式に来なさい』とは言わなかった。バンドが受け入れられているということだったから」

デニス・ウェルチは10代の頃のバンドは「ガレージで騒音を鳴らしていた」と振り返っている。「仕事に就きなさいと言っていたわ。ザ・ローリング・ストーンズのサポート・アクトでも務めるのでもなければ、仕事に就けってね」

一方、父親で俳優のティム・ヒーリーは『仮定形に関する注釈』に収録されている“Don’t Worry”にソングライティングとバッキング・ヴォーカルで参加している。

「父親が1990年くらいに書いた曲なんだ」とマット・ヒーリーは“Don’t Worry”について語っている。「あの曲は生涯を通して聴いてきた曲でね。でも、レコーディング音源はなかったからね」

育てられた際の父親の影響についてマット・ヒーリーは次のように賛辞を寄せている。「父はパンクを好きだったことはないけど、いつだってすごくパンクだったんだ。父親は溶接工で、そこからスタンダップ・コメディアンになって、ライヴ・シアター・カンパニーを始めたわけだろ。みんながニューカッスルやサンダーランドでスタンダップ・コメディをやっている時に、彼はやめて芝居をやるんだ。でも、そういう人だったんだよ」

「『アウフ・ヴィーダーゼーエン、ペット』で有名になった時には政治運動の旗振り役みたいになったんだ。産業助成をして小さなストライキやなんかを起こしたりね」

また、ザ・1975はジャック・アントノフが手掛ける『ザ・ニュー・ルック』のサウンドトラックに提供した“Now Is The Hour”のカヴァーが公開されている。

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