レッド・ホット・チリ・ペッパーズのドラマーであるチャド・スミスのオーディションについて当時のプロデューサーが振り返っている。
チャド・スミスはD. H. ペリグロに代わって1988年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに加入している。
今回、『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』と『母乳』のプロデュースを手掛けたマイケル・バインホーンはリック・ビアートのインタヴューでこの時のオーディションについて語っている。
「僕としては『なにせレッド・ホット・チリ・ペッパーズだからね。新しいドラマーを探すのも何の問題もないだろう』と思っていたんだ」とマイケル・バインホーンは語っている。「でも、全人生においても一つ屋根の下で精彩のないドラマーの集団を見たことがなかったよ」
マイケル・バインホーンは最後のオーディション応募者だったというチャド・スミスについて「我が物顔かのように」部屋に入ってきたと続けている。
「全員すぐに嫌になったよ。みんな、彼を見て『なんて野郎だ。嫌なやつだなあ』と思ったね。彼はメタル・バンドにいるかのような見た目だった。そして、バンダナをあんな風に頭に巻いていた。違うと思ったね。早く出て行ってほしいと僕は思っていたんだ。名前は? チャド? 完璧な名前だね。ドラムを叩いて、出て行ってくれってね」
しかし、チャド・スミスがドラム・キットにつくと部屋の空気は一変したという。
「最初の一打から『なんてことだ』という感じだった。素晴らしかった。本当に素晴らしかったんだよ。あの時、あの部屋で起こったことは人生でも何度かしか経験したことのないことだった。文字通り、エネルギーの入り口が開いたんだ。すべてのドアが開いているかのような感じで、魔法の呪文が唱えられて、映画のようにすべてがうまくいった。何もかもが変わったよ。すごかったね」
アンソニー・キーディス、フリー、ジョン・フルシアンテといったメンバーもそのことはすぐに気づいていたという。「オーディションした中で最高のドラマーだっただけでなく、これまでの人生で一緒に演奏したドラマーでも最高だと思っていた。自分たちが何を見ているかも分かっていたし、空気は素晴らしいものだった。あまりにも良くて、否定できなかったんだ」
チャド・スミスはかつて彼のドラムの練習が近所迷惑になっていたと母親が明かしている。
チャド・スミスの母親であるジョアン・スミスは息子のスターダムへの道のりについて語っている。
「ご近所さんがとても良い方たちだったの。お隣さんがこう言ってくれたのを覚えているわ。『私たちのところまでドラムを叩くのが聞こえてきて、本当に邪魔に思っていたんだけどね。でも、今はチャドが叩いてるって分かっているから、警察を呼んだりするつもりはないよ』ってね。とても理解のある方だったの」
ジョアン・スミスは息子のドラムへの情熱を知りながらも、彼が若い頃は真っ当な仕事に就くことを願っていたと明かしている。
「他のことをやるべきよね。真っ当な職を得ないと。だって成功するのは100万人のうち1人くらいでしょ。だから、私たちは他の人たちと同じくらい驚いているの」
インタヴューの他の部分で彼女は次のように語っている。「息子が地下室でドラムを叩くときのルールがあったわ。私は外に出かけるとき、部屋の電気を点けていくの。練習を始めても良いわって意味よ。それで帰ってきたら電気を消すの。終わりにしてって意味ね」
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