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デヴィッド・ボウイが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのプロデュースを断っていたことが明らかになっている。

アンソニー・キーディスは先日英ラジオ番組「ジョーンジーズ・ジュークボックス」に出演し、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがデヴィッド・ボウイに2枚のアルバムのプロデュースを依頼していたことを明らかにしてりる。オルタナティヴ・ロックのニュースサイト「Alternative Nation」によると、アンソニー・キーディスは以下のように語っている。

「アルバムを制作する時には毎回、バンドで話し合いをするんだ。その時も『プロデューサーは誰にやってもらう?』『どうかな、誰か新しい人がいいよな!』『デヴィッド・ボウイにしようぜ!』『オッケー、連絡してみよう』っていう感じだったんだ。それで、まず彼に連絡してみたんだけど、丁重に断られたんだよ。その後、何通か長いメールを書いて、僕たちにとってその試みがどうして大事なのか、すべて説明したんだけどさ。それでも毎回、丁寧に断られてしまったんだ。でも、ショックを受けていたのは2分間ぐらいで、チャドがドラムを演奏するのを聴いたら『大丈夫、他にも選択肢はあるさ』って気になったよ」

そして、こう続けている。「当時は僕たちが『バイ・ザ・ウェイ』を書いていた時だったから、デヴィッド・ボウイには『バイ・ザ・ウェイ』のプロデュースをお願いして、その後の『ステイディアム・アーケイディアム』の時にも頼んでみたんだ。彼に言われたノーの数は2、3回だったけど、僕たちのキャリアを通してプロデュースを依頼していた彼の友人である(ブライアン・)イーノには8回ノーと言われたよ」

デヴィッド・ボウイは、最後のアルバムとなった『★(ブラックスター)』をリリースした2日後、1月10日に癌のため逝去している。レッド・ホット・チリ・ペッパーズは過去にデヴィッド・ボウイの“Suffragette City”をカヴァーしている。

ナイン・インチ・ネイルズのフロントマンであるトレント・レズナーは、薬物をやめる手助けをしてくれたデヴィッド・ボウイについて語り、「父親のような存在」だったと語っている。

米『ローリング・ストーン』誌によるデヴィッド・ボウイへの追悼インタビューで、トレント・レズナーはデヴィッド・ボウイへの愛を語り、彼の謎めいた歌詞についても解説している。

「1990年代初めまで、観客の前でステージに立つときは、完全にデヴィッド・ボウイが頭に憑りついた状態だった。彼が落としたパン粉、つまり時を経て姿を現す歌詞に隠された手がかりや、謎めいた写真、雑誌の記事を読み込み、そして、自分にとっての彼という物を考えて作り上げたんだ」

「彼の音楽は自分と上手く関係を築いて、自分が何者かを知る助けになってくれた。可能性やエンタテイナーの果たすべき役割、つまりルールはないんだと言う点において彼は膨大なインスピレーションとなっていたんだ」

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