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トゥパック・シャクールがラスベガスで赤信号で待っていた車から4発を被弾して殺害されてから30年近くを経て、この事件を扱った裁判の日が決定している。

AP通信によれば、1996年のトゥパック・シャクール殺害に関連してドゥエイン・“ケフ・D”・デイヴィスが逮捕されたことを受けて、ネバダ州の判事は2024年6月3日を裁判の日に設定している。

先週、ドゥエイン・“ケフ・D”・デイヴィスはギャングの後押しを受けて致命的武器の使用で殺害したことについて無罪を主張している。

ギャング「コンプトン・クリプス」の元メンバーだったドゥエイン・“ケフ・D”・デイヴィスはトゥパック・シャクールのライバルとして知られていたオーランド・“ベイビー・レーン”・アンダーソンの叔父にあたる。オーランド・“ベイビー・レーン”・アンダーソンは銃撃後、容疑者と目されていたが、事件への関与を否定していた。2年後、彼はカリフォルニア州コンプトンで銃撃されている。

ドゥエイン・“ケフ・D”・デイヴィスはラスベガスで収監されており、弁護士は来夏の裁判に先立って保釈を求める書類の提出を検討している。

ドゥエイン・“ケフ・D”・デイヴィスの弁護士であるチャールズ・カノとロバート・アロヨは法廷の外におけるこの事件についてのコメントを避けており、検察官のマーク・ディジャコモが「膨大」と呼ぶ証拠を調べる時間がないことを理由としている。

トゥパック・シャクールは1996年9月7日に銃撃されて、1996年9月13日に亡くなっている。享年25歳だった。トゥパック・シャクールはMGMグランドで行われたマイク・タイソン対ブルース・セルドンの試合を立ち去り、デス・ロウ・レコーズの共同設立者であるシュグ・ナイトとナイトクラブに向かうところで銃撃の標的になっている。

白いキャデラックが2人の車の助手席の横に停車し、正体不明の銃撃犯が14発を発砲して、トゥパック・シャクールは4発被弾し、後にその傷がもとで亡くなっている。

ドゥエイン・“ケフ・D”・デイヴィスは以前から捜査当局に知られており、27年前に発砲したキャデラックに自分が乗っていたことをインタヴューや2019年の回想録『コンプトン・ストリート・レジェンド』の両方で認めている。彼は銃撃を目撃した最後の一人と目されていた。

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