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ワム!のアンドリュー・リッジリーはネットフリックスで7月5日より配信されている長編ドキュメンタリー『WHAM!』について『NME』のインタヴューに答えている。

このドキュメンタリーはジョージ・マイケルの人生とキャリアに敬意を表しながら、アンドリュー・リッジリーと10代で出会った時から始まり、グループとしての紆余曲折や名声の極みなどを舞台裏映像と共に詳細に振り返るものになるという。

ワム!は1981年から1986年の解散まで短いキャリアでありながら、大きな成功を収めており、1983年発表の『ファンタスティック』、1984年発表の『メイク・イット・ビッグ』という2枚のアルバムをリリースしたほか、サード・アルバム『エッジ・オヴ・ヘヴン』は北米と日本のみで発売され、その他の地域では代わりにコンピレーション作『ザ・ファイナル』がリリースされている。ワム!は“Wake Me Up Before You Go-Go”や“Last Christmas”といったヒット曲で知られている。

長編ドキュメンタリーの配信に合わせて『ワム!ザ・シングルズ:エコーズ・フロム・エッジ・オブ・ヘブン』と銘打たれたシングル・コレクションが全8形態で7月7日にリリースされることも決定している。

「今の段階になって自分たちのキャリアを振り返るというプロセスは謳歌できたし、どれだけ楽しいものだったかを知ることになったね」とアンドリュー・リッジリーは『NME』に語っている。「そのスケールとスピードは驚かされるものだった。ワム!でよかったのは2人の人生においても歓喜に満ちたポジティヴな時期だったということだよ。始まりがあって、紆余曲折があって、終わりがある。素晴らしいストーリーになっているんだ」

アンドリュー・リッジリーの母親がまとめていた記事の切り抜きが入れられた額を使いながら、ドキュメンタリーは彼が後のジョージ・マイケルとなるイェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥとハートフォードシャーのブッシー・ミーズ寄宿学校で出会い、教師から彼の指導係に任命され、クイーン、ジョイ・ディヴィジョン、モンティ・パイソンへの愛で絆が生まれていく様子を追っている。

18歳でワム!を結成した時、2人は爽快なポップ・ミュージックによってイギリスの記録的な失業率からの逃避を提供することになった。2枚のアルバムをリリースして、1985年に中国でライヴを行った初めての西欧のバンドとなり、1986年に最後のコンサートを行うまでに3000万枚のレコードを売り上げている。

「ジョージが亡くなったことで、ワム!への愛情、人々の想像の中で占めている場所、バンドへの好意がいかに大きなものかに気づくことになったんだ」とアンドリュー・リッジリーは語っている。「だから、ワム!の功績を振り返るのは自然なことに思えた。ドキュメンタリーは僕らの友情がワム!にとってどれだけ重要なものだったかを文脈としながら、成功を追ったものになっている。本物の友情こそが僕らを独自の存在にしていたんだ。ジョージのことを知る人たちが好意的に彼を振り返っていて、それは彼も気に入ってくれると思う。素晴らしいのはナレーションがジョージの声ということで、それが親密さをもたらしているんだ」

アンドリュー・リッジリーはジョージ・マイケルとの10代の思い出についても語っている。「16〜17歳の時にストリップ・クラブに行ったんだ。ドリンク代を請求されて、法外な値段だったから『払わない』と言ったんだけど、ドアマンがいなくなるか、払うまで外に出られないのは明らかだった。持っているすべてのお金を要求されて、20ポンドだったと思うけど、それを払ったら出て行けと言われたんだ」

「親友とは概してそういうものだけど、バカげた状況に陥るんだよね。14歳の時にパーティーに行く時もジョージが新しいズボンを買ったんだけど、飲みすぎて、誰もズボンに気づかなかったから泣いていたんだ」

ジョージ・マイケルのソロとしての成功の影に隠れてしまうこともあるワムだが、チューズ・ライフのTシャツや半ズボン姿といった定説を超えたその功績が描かれているかどうかと訊かれて、アンドリュー・リッジリーは次のように語っている。「ジョージ・マイケルがソロのキャリアに乗り出した時、彼がそこに注目を集めたいと思うのは自然なことだったと思う。でも、ワム!の功績というのはわずかだったとしても消えることはなかった。ワム!の功績は根強く残っていると思うよ」

「曲は常にかかってきたしね。映画『デッドプール』では“Careless Whisper”が使われていたけど、これまでと同じようにポピュラー・カルチャーでは根強く残っている表れだよね。時の試練を超えて、Z世代にもアピールするエネルギーと響きがあるんだよ」

結成当初からアンドリュー・リッジリーとジョージ・マイケルは若さゆえの快楽主義を永続させるのではなく、「短命」のバンドとして終わらせることに同意していた。このドキュメンタリーから浮かび上がってくるのは、アンドリュー・リッジリーがイェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥが腕っぷしの強いジョージ・マイケルというポップ・スターになるきっかけを作ったということだ。

「彼は若い頃は自信がなくて、自分のことが分かっていなかった。ワム!として成功へと駆け上がったことで、彼はアーティストとしてのジョージ・マイケルという最終目的地に速く辿り着くことになったんだ」とアンドリュー・リッジリーは語っている。「ワム!で成功を収めていなかったら、あんなに速くは辿り着かなかったかもしれない。自分の運命を充足させられる正しい環境を彼は必要としていて、ありがたいことにそういうことになったんだ」

アンドリュー・リッジリーは“Wham Rap! (Enjoy What You Do)”、“Club Tropicana”、“Careless Whisper”といった曲を共作してきたが、デビュー・アルバム『ファンタスティック』の前から優れたソングライターであると認めていたジョージ・マイケルに創作面での全権を譲っていた。そして、ジョージ・マイケルがソロ・キャリアで天文学的な成功を収めると、アンドリュー・リッジリーはタブロイドでからかわれることになった。しかし、アンドリュー・リッジリーはワム!は純粋に喜ばしいものであり、「ジョージ・マイケルともう一人」という誤解を解くためのものではないと述べている。

「正直に言うと、自分はワム!についていろいろと考えたり、ワム!のことを持ち込んだりはしないんだ。ワム!を終わらせてからは、自分の生き方とはほとんど関係がない。だから、今回のドキュメンタリーも誤解や不満を解消するためにやったわけじゃないんだよ」

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