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1月10日にデヴィッド・ボウイが亡くなったのを受けて、ベルリンでも追悼のイベントが開催されている。

デヴィッド・ボウイは、70年代の音楽の絶頂期にベルリンに移住して、ベルリン三部作と呼ばれる3枚のアルバム、『ロウ』、『ヒーローズ』、『ロジャー』をレコーディングしている。

デヴィッド・ボウイが亡くなってから1週間というもの、住居を構えていた西ベルリンの近隣にあるシェーネベルクのマンションの前には、花束やキャンドル、ノートなどが供えられることとなった。

また、ベルリン三部作のほとんどがレコーディングされたハンザ・スタジオは一般に開放され、ホールの中では、デヴィッド・ボウイの画像のスライドショーがステージのスクリーンに映し出され、最新アルバム『ブラックスター』が常に流されていたという。オープン・マイクも設置され、様々な来訪者によってデヴィッド・ボウイのカヴァーが披露されることとなった。

ベルリン三部作のエンジニアを務めたエデュアルド・マイヤーは米『ビルボード』誌に、「ベルリンの壁に近いことから、ボウイは “Weeping Wall”という曲を書いたんだけど、今日、このホールはみんなが涙を流しているからまさに”Weeping Hall”(涙にくれるホール)だよね」と語っている。「こんな日は大いに泣くべきなんだよ、僕らは人間なんだからさ」

デヴィッド・ボウイについてエデュアルド・マイヤーは彼のユーモアについても語っている。「(彼の死後に)僕は、過去のメールを見返してみたんだけれど、僕は彼に2014年にベルリンで開催されたデヴィッド・ボウイ・大回顧展に招待されたことを書いたんだ。この回顧展には僕が提供した5枚の写真も展示される予定だったからね。彼は僕に『もし、行く価値があると思ったら行ってみたら(笑)』と返信してきたんだ。自分自身で笑っちゃってたんだよ」

また、ベルリンという都市にとってのデヴィッド・ボウイについては次のように語っている。「彼は、東西が2つに分裂していた当時この都市の指標のような存在だった。当時のベルリンのような状況の町を、今まで彼は他に見たことがなかったんだろう。彼は、行きたい場所がどこも壁に隔たれていくことができずにイライラしていたんだ。でも、イギー・ポップとビザを作って、東ベルリンに旅行してたよ」

「国会議事堂の前で行われたコンサートでは、彼の心の奥深くに突き刺さるような感動することが起こったんだ。壁の向こう側にいる人々も彼の音楽に聞き入り彼の歌を一緒に歌っていたんだ。向こう側の人々もどこかでデヴィッド・ボウイの曲を聴いて知っていたんだ。だけど、兵士や警察がやってきて、彼らを一掃してしまったんだよ」

「ベルリンの通りを歩いていると、特に週末の早朝、人口の3分の1がみんなあたかもデヴィッド・ボウイに影響を受けているかのように見えるのを見逃せないんだ。どこかユニセックスで、想像力に満ち溢れ、音楽を愛し、踊りながら夜明かししている人たちをね」

「ベルリンにいる人々は、僕と同じで、彼がベルリンの統一を助けたように感じていると僕は思っているんだ」とマイヤーは語った。「彼の作る音楽以外の部分にも、人々は同調していたと思うんだよ。彼が愛されるのはもちろん彼の作る音楽が理由だけど、彼については、その人間性こそが最も重要な部分だったんだ」

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