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ジャズ・ピアニストにして作曲家のアーマッド・ジャマルが亡くなった。享年92歳だった。

マイルス・デイヴィスの近い友人だったアーマッド・ジャマルは現地時間4月16日にマサチューセッツ州アシュリー・フォールズの自宅で亡くなったという。死因は前立腺ガンだったと娘のスマヤ・ジャマルは『ニューヨーク・タイムズ』紙に語っている。

その抑制されたプレイ・スタイルで知られるアーマッド・ジャマルは全米芸術基金のジャズ・マスター賞を受賞して、音楽史への貢献からグラミー賞の生涯業績賞も贈られている。

アーマッド・ジャマルはジャズを「アメリカのクラシック音楽」と評して、音楽の中にあるスペースと彼が呼ぶものを大切にすることを好んでいた。

彼はビバップの時代にティーンエイジャーとして70年に及ぶキャリアを始めたが、その音楽スタイルは急速に進化して、影響を与えることになった。1958年に発表されたアルバム『バット・ノット・フォー・ミー』は当時のインストゥルメンタル・アルバムとしては最も売れたうちの1枚で、商業的成功も収めている。

今はなきマイルス・デイヴィスはかつて「すべてのインスピレーションはアーマッド・ジャマルからのものだ」と語っている。

マイルス・デイヴィスは自伝で「アーマッド・ジャマルのスペースというコンセプト、タッチの軽さ、控えめな表現、彼の音符やコード、一節の弾き方に打ちのめされた」とも記している。

ハービー・ハンコックやキース・ジャレットもアーマッド・ジャマルからの影響を口にしており、何十年も後にナズやデ・ラ・ソウルといったヒップホップのアーティストは彼のピアノをサンプリングしている。

2022年の『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタヴューでアーマッド・ジャマルは「ピアノに座った時は今もまだ進化している」と述べており、「新鮮なアイディアをいくつか思い出すんだ」と語っている。

クエストラヴはアーマッド・ジャマルのモノクロの写真を投稿して、キャプションに「リスペクト」と綴って追悼の意を表している。

バッドバッドノットグッドは次のように述べている。「アーマッド・ジャマルよ、楽園で休んでください。信じられないような言語とサウンドだった」

フィールド・ミュージックは次のようにツイートしている。「悲しいニュースだ。昨日もアーマッド・ジャマルを聴いていた。この1年は何度もそうしてきた。見過ごされてきた、控えめな革新者であり、複雑さとスペースのバランスを見事に取っていた」

ポール・マッカートニーやジェームス・ブラウン、ザ・ルーツとレコーディングを行ってきたジャズ・ベーシストのクリスチャン・マクブライドはアーマッド・ジャマルについて「常に完全に憧れてしまう人」と述べている。

彼は次のように続けている。「彼と何度か一緒の空間にいたけれど、挨拶する勇気がなかった。彼はあまりに威厳ある雰囲気だった。アーマッド・ジャマル、あなたのくれた音楽に感謝します。安らかに」

アーマッド・ジャマルは本名のフレデリック・ラッセル・ジョーンズとして1930年7月2日にペンシルベニア州ピッツバーグに生まれている。3歳からピアノを弾き始め、数年後には国立ネグロ・オペラ・カンパニーの創始者であるメアリー・カードウェル・ドーソンの下で学んでいる。

14歳の時にはミュージシャンのユニオンに加入して、その後、1950年にはシカゴへと移っている。そこで彼はイスラム教へと改宗し、名前を変え、ザ・スリー・ストリングスというピアノ/ギター/ベースのトリオを率いている。

加えてアーマッド・ジャマルはレコード・レーベルやマネージメント会社も設立しており、シカゴを拠点とするナイトクラブ&レストラン、アルハンブラも開業している。

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