パティ・スミスはエッセイを寄稿してテレヴィジョンのトム・ヴァーレインに追悼の意を表している。
トム・ヴァーレインは現地時間1月28日に「短い闘病」の末に亡くなっている。享年73歳だった。
訃報はパティ・スミスの娘であるジェシー・パリス・スミスによって発表されている。「近い友人に囲まれてニューヨークで穏やかに亡くなりました。彼のヴィジョンと想像力は惜しまれることになるでしょう」
訃報を受けてレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、シャーラタンズのティム・バージェス、プライマル・スクリームらが追悼の意を表している。
トム・ヴァーレインとコラボレーションを行い、かつて交際したこともあるパティ・スミスはインスタグラムで次のように述べていた。「どんなことも起こり得るような時代。さようなら、トム」
今回、パティ・スミスは『ニューヨーカー』にエッセイを寄稿して、トム・ヴァーレインの創作プロセスについて「甘美な苦悩」と評している。
https://www.newyorker.com/magazine/2023/02/13/he-was-tom-verlaine
「彼は錆びたシンクに滴る水の音で目を覚ました」とパティ・スミスはエッセイを始めている。「震えながら横たわり、宇宙人と天使のちらつく動きに釘付けになるなか、『マーキー・ムーン』の歌詞とメロディーは一滴一滴、一音ずつ、穏やかながら悪意も含んだ興奮から生まれていった」
「彼こそがトム・ヴァーレインで、その創作プロセスは甘美な苦悩だった」
パティ・スミスは彼女が育ったところから28分のところにトム・ヴァーレインは住んでいたが、交流はなかったと説明している。
「ウィルミントンとニュージャージーの境にある同じワワ(コンビニエンスストア)に飲み物やお菓子を買いに歩いていくこともあり得た。フランス象徴派の詩集を携えて、2頭の黒羊は田舎道で出会っていたかもしれない。しかし、そうはならなかった」
「出会ったのは1974年4月14日、イースターの夜だった。ザ・ローリング・ストーンズの『レディース・アンド・ジェントルメン』のプレミア上映をジーグフェルド・シアターで観た後に、レニー・ケイと私は珍しくタクシーに乗った。テレヴィジョンという新人バンドをバワリーに観に行くところだった」
「その夜に目にしたのは私たちの未来で、ロックンロールと詩が完璧に融合していた。トムの演奏を観て、男性になれたら、彼になれたらと思った」
パティ・スミスはテレヴィジョンが出演する時はいつでも観に行ったと説明している。「そのほとんどはトムを観るためだった。彼は淡い青い目をして、白鳥のような首をしていた」
「彼は頭を垂らして、ジャズマスターを握って、立ち込める雲、小人が住む奇妙な路地、カラスによる殺人、宇宙のレプリカを駆け抜ける青い鳥の鳴き声を解き放つ。すべてはギターのネックを押さえる彼の長い指によって変化していた」
二人は親密になり、お互いの本棚が「ほとんど同じで、見つけるのが難しい作家のものまであった」とパティ・スミスは続けている。
「彼は天使のようでありながら、少し悪魔のようであり、修道僧の優雅さもある漫画のキャラクターのようだった」
「トムのような人はいない。一滴の水から詩が生まれ、音楽がそこから生まれてくるという子どものような才能を持っていた。最後の日々、彼は献身的な友人から無欲の形で支えられていた。彼には子どもがいなかったから、私の娘であるジェシーや息子のジャクソンからの愛を一身に受けていた」
「最後の時間、彼が寝ているのを見ながら、私は昔へと旅していた。私たちはアパートにいて、彼は私の髪を切ってくれた。あちこちが突き出ているから、彼は私をウイングヘッドと呼ぶことにした。その後の日々はシンプルにウイングと言われた。歳をとっても、ずっとウイングだった」
R.E.M.のマイケル・スタイプはパンク・シーンにおけるアイコンに対して次のように追悼の意を表している。「ヒーローを失いました。トム・ヴァーレイン、神の御加護を。あなたの曲、歌詞、声に感謝しています。そして、笑ったこと、インスピレーション、物語、音楽やアートは人生や体験を別のものに変えることができるという厳格な教えに感謝します。あなたは私の人生をひっくり返す世界へと導いてくれた。永遠に感謝します」
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