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テレヴィジョンのシンガー、ギタリスト、ソングライターであったトム・ヴァーレインが亡くなった。享年73歳だった。

訃報はパティ・スミスの娘であるジェシー・パリス・スミスによって発表されている。プレス・リリースによれば、トム・ヴァーレインは現地時間1月28日に「短い闘病」の末に亡くなったという。「近い友人に囲まれてニューヨークで穏やかに亡くなりました。彼のヴィジョンと想像力は惜しまれることになるでしょう」

ニュージャージー州で本名のトーマス・ミラーとして生まれたトム・ヴァーレインは思春期にザ・ローリング・ストーンズの“19th Nervous Breakdown”を聴いて、ギターの道に進んでいる。デラウェアの寄宿学校に通学している時に長年のコラボレーターとなるリチャード・ヘルと出会い、2人はニューヨークに逃れている。ここで彼はボブ・ディランの影響を受けて、有名なフランスの詩人であるポール・ヴェルレーヌの名前を借りて、新しい名前をつけるようになったという。

地元のパンク・シーンにおける伝説的な存在だったテリー・オークに促されて、トム・ヴァーレインとリチャード・ヘルはドラマーのビリー・フィッカと共にネオン・ボーイズを結成している。1年もしないうちにバンドはギタリストのリチャード・ロイドを加えて、テレヴィジョンに名前を変えている。2年後にリチャード・ヘルはフレッド・スミスが代わる形で脱退して、バンドはデビュー・アルバム『マーキー・ムーン』を1977年にリリースしている。

1978年発表のセカンド・アルバム『アドヴェンチャー』はチャート上での成功も収め、全英7位を記録したが、同年にバンドは解散して、トム・ヴァーレインはソロ・キャリアを歩むことになっている。1979年にリリースされたセルフ・タイトルのソロ・デビュー作は「NMEが選ぶアルバム・オブ・ザ・イヤー」で15位にランクインしている。

さらに5枚のソロ・アルバムをリリースした後にトム・ヴァーレインは1991年にテレヴィジョンに復帰して、バンドと自身の活動を両立させている。1992年は2枚のアルバムがリリースされており、1枚はテレヴィジョンによるセルフ・タイトル作で、もう1枚はソロとしての『ワーム・アンド・クール』となっている。

テレヴィジョンの作品がその後リリースされることはなかったが、バンドとしての活動は続けられており、2019年まで散発的にツアーを行っていた。2013年、バンドは2000年代に復帰作の完成近くまで漕ぎ着け、2007年の年末に16曲をレコーディングしたことを明かしていたものの、それが世に出ることはなかった。

トム・ヴァーレインの訃報を受けて、音楽界からは追悼の声が寄せられており、ジェシー・パリス・スミスは次のように述べている。「これまでもこれからも愛していますし、常に思い出しながら、あなたの手の感触をそばに置いておくでしょう。それは美しいクリエイターの手であり、あたたかく、やさしく、繊細で、夢のような愛と真実の手です。あなたのような人はこれまでもいなかったし、これからもいないでしょう」

R.E.M.のマイケル・スタイプはパンク・シーンにおけるアイコンに対して次のように追悼の意を表している。「ヒーローを失いました。トム・ヴァーレイン、神の御加護を。あなたの曲、歌詞、声に感謝しています。そして、笑ったこと、インスピレーション、物語、音楽やアートは人生や体験を別のものに変えることができるという厳格な教えに感謝します。あなたは私の人生をひっくり返す世界へと導いてくれた。永遠に感謝します」

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