ザ・スペシャルズのホレス・パンターは12月18日に亡くなったテリー・ホールの最後の数週間について記したテキストを公開している。
ザ・スペシャルズはテリー・ホールが「短い闘病」の末に享年63歳で亡くなったことを発表している。ザ・スペシャルズは「美しい友人にしてブラザー、この国が生んだ最も卓越したシンガーにしてソングライターにして作詞家の1人」と評している。
ホレス・パンターはフェイスブックに投稿した文章で、彼とテリー・ホール、ギタリストのリンヴァル・ゴールディングの3人は11月上旬にロサンゼルスでレゲエ・アルバムをレコーディングする計画を立てており、飛行機やスタジオ、宿泊の手配もしていたと明かしている。
「テリーには8曲の枠組があった。自信満々だった。ニコライ・ラーセンも招いて、魔法をかけようということになった。それが9月だった。テリーはみんなにメールを送ってきて、胃腸炎で寝込んでいて、最初の週のプリプロダクションには参加できないと言ってきた。大したことはない。すべてを1週間後ろ倒しにすればいい。11月4日までフライトは延期されることになった」
ホレス・パンターは翌週、テリー・ホールが回復しておらず、入院していることを知らされたと述べている。10月2日、バンドのマネージャーであるスティーヴ・ブラックウェルから電話があって、テリー・ホールは膵臓ガンが肝臓まで転移していたことを知らされたという。
「深刻なことだった。命に関わる深刻さだった。膵臓がやられたために、糖尿病になってしまった。まずはこれを治療し、次に化学療法を行う必要があった。できることは何もない。すべてが待ちになった。テリーは断固として誰も言わないことを望んでいた。訊かれた場合は糖尿病だと言っていた」
「化学療法は順調に始まったが、仕事をできるようになるのは最速でも2023年3月だということになった。糖尿病を安定させて、痛みに対処するために病院の入退院を繰り返していた。それで、連絡がなくなっていった」
12月上旬、テリー・ホールは「体重を大幅に落として」「とても弱っていた」という。病院を訪ねたライトニング・シーズのイアン・ブロウディーはスティーヴ・ブラックウェルにテリー・ホールが「亡くなる」んじゃないかという懸念を伝えていた。12月15日にスティーヴ・ブラックウェルはロンドンのテリー・ホールの下を訪れている。
「病院から戻ってくると、彼は僕に電話をくれて、状況は思わしくないと言ってきた。彼が死にそうだとね」とホレス・パンターは述べている。「翌日から彼はモルヒネを投与され、ほとんど意識不明になった。僕は行くのがいいと思ったんだけど、テリー・ホールの妻であるリンディには反対された」
「彼女はテリーの耳に電話を押し付けてくれて、彼の姉妹やリンヴァル・ゴールディングは別れを告げることになった。僕も同じようにするように言われて、そうした。つらかったよ。テリー・ホールが亡くなったのは12月18日17時30分くらいだった。世界は唯一無二の声を失うことになり、僕も素晴らしい友人を失うことになった」
訃報を受けて追悼の声が寄せられており、元ザ・スペシャルズのネヴィル・ステイプルは次のようにツイートしている。「日曜日にテリー・ホールが亡くなったと聞いて深く悲しんでいます。エジプトに着いた時に電話をもらったのです」
「テリー・ホールが元気ではないことは知っていましたが、最近までここまで深刻だとは分かっていませんでした。分かっていたのは2023年に一緒に音楽をやろうと同意していたことでした。つらいです」
ブラーのデーモン・アルバーンもテリー・ホールに追悼の意を表しており、悲しげにピアノでザ・スペシャルズが1980年に発表した“Friday Night, Saturday Morning”を弾く動画を投稿して、キャプションには次のように綴られている。「テリー、あなたは自分にとってすごく大切な存在でした。愛しています」
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