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デヴィッド・ボウイのファンが南ロンドンのブリクストンにあるデヴィッド・ボウイの壁画の前に花を手向けている。

18カ月の闘病を経たデヴィッド・ボウイの死のニュースは11日の朝、デヴィッド・ボウイの息子で映画監督のダンカン・ジョーンズにより伝えられている。

壁画は、ブリクストン・ロードにあるモーリーズ百貨店の壁に描かれており、1973年のアルバム『アラジン・セイン』のジャケットになっている稲妻のメイクをしたデヴィッド・ボウイを見ることができる。

デヴィッド・ボウイはブリクストンで生まれ、幼少時代は近くのスタンスフィールド・ロードに住んでいた。のちに6歳の時、彼はロンドン南東部のベックナムに移住している。

ブリクストンのリッツィ映画館では「我らがブリクストンの少年よ。安らかに眠ってください」、ブリクストン・アカデミーでは「我らのヒーローよ永遠に」と、デヴィッド・ボウイを追悼するサインを掲げている。

「デヴィッド・ボウイは、南ロンドンのブリクストンで生まれた。すでに花が手向けられている」

「デヴィッド・ボウイが生まれた場所、ブリクストンで彼を追悼」

「ザ・リッツィが粋な計らい」

「一方、ブリクストンの壁画では」

「ブリクストン生まれのヒーロー、ボウイのために朝からファンとお花が集まり始めている」

「ブリクストンでボウイを追悼。テレビ・カメラと群衆とともに。彼はこの道をちょっと行ったとこで生まれたの」

「ブリクストンのデヴィッド・ボウイが生まれた場所の近くに素晴らしい壁画がある。本当に活気に満ちている、まるで彼自身のように」

「デヴィッド・ボウイが生まれた場所、ロンドンのブリクストンにある壁画の下にファンが花とキャンドルを手向けている」

「ブリクストンのデヴィッド・ボウイの壁画の前にはメディアや人々が集まり、ちょっとした神社での集会のようになっている」

『イヴニング・ スタンダード』紙は、スタンスフィールド・ロードにあるデヴィッド・ボウイの生家の窓には板が置かれており、訪ねても何も応答がなかったという。

一方、デヴィッド・ボウイに哀悼の意を捧げたいファンのために、ブリクストンではストリート・パーティーが開催されるという。フェイスブックのページが立ち上がり、ザ・リッツィの外に昨晩のUK時間午後7時に集合するようにと言われていた。

「デヴィッド・ボウイがこの地球上で過ごした時間は短かったが、彼は間違いなくたくさんの素晴らしい音楽を残してくれた。今日はみんなで集まってお祝いをしよう」と、イベントの主催者は語り、次のように続けている。「音楽や、このイベントの他のどんな部分————楽器を持ってくる、スピーカー、食べ物、そして最も大切な愛————で手伝ってくれそうな人がいたらシェアしてください」

デヴィッド・ボウイは1967年にデビュー・アルバムをリリースし、その1年前にデヴィッド・ジョーンズから改名している。初期の作品には、『スペース・オディティ』や1971年の『ハンキー・ドリー』がある。

1972年には、新たな自分を創りだし、『ジギー・スターダスト』をリリースしている。このアルバムには、”Ziggy Stardust”や”Suffragette City”が収録されている。

デヴィッド・ボウイのヒット曲には、”Let’s Dance”、”Space Oddity”、”Heroes”、”Under Pressure”、”Rebel, Rebel”、”Life on Mars”や”Changes”などがある。

デヴィッド・ボウイはここ10年でニュー・アルバム『★(ブラックスター)』と2013年の『ザ・ネクスト・デイ』の2枚のアルバムをリリースしている。彼の最後のライヴは2006年のニューヨークで行われたチャリティ・コンサートだった。

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