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ポール・マッカートニーは、かつてのビートルズのバンド仲間であるジョン・レノンへの世間の認識が死後変わったことに「不満」を感じていたことを認めている。

ジョン・レノンは1980年12月に、ニューヨークの自宅のアパートメントの外でファンと名乗る男に撃たれて亡くなった。ビートルズはすでに1970年に解散していた。

ポール・マッカートニーは、『エスクァイア』誌の最新のインタヴューで、彼のかつてのバンド仲間であるジョン・レノンについて語っている。「僕たちはわかっていたんだ、他のバンドとは違うってね。レノンの才能、知性、辛口のウィット。僕のメロディとか、いろんなこと。ハリソンのスピリチュアルな部分や、リンゴの陽気さやドラムのテクニックとか……。僕たちは4人ともみんな同じように、必死に頑張ってたんだよ」

「ビートルズの解散後は、ジョージがソロ・アルバムを作り、ジョンもソロ・アルバムを作り、僕も、リンゴも自分のアルバムを出した。みんな同じように活躍してたのさ。ジョンが撃たれたときは、本当にぞっとしたけど、結局残ったのは、そう、ジョンが殉教者になってしまったということだった。まるでJFKみたいにね」と彼はこう続けた。

「それで何が起こったかというと、世間が『ジョン・レノンこそがビートルズだ』と言い出して、だんだんと不満が募るようになっていったんだ。ジョージとリンゴと僕はこう思ったね。おいおい、ついこの間まで、僕たちみんな一緒で『ビートルズ』だったじゃないか、ってね」

「確かに、ジョンはウィットに富んだスマートな奴だったし、いい仕事もたくさんしたよ。ソロになってからはさらに素晴らしい仕事をしていたと思う。でも、ジョンはそうでないこともたくさんやってきたんだよ。彼は殉教者になることで、まるでジェームズ・ディーンみたいに崇められることになった。いや、それ以上かもしれないよね」

「当時は何とも思ってなかったんだけどーーそれは認めるよーーだってあれはいわゆる『修正主義』的なことだとわかっていたんだ。『ジョンこそビートルズだ』ってなっちゃったんだよ」

ポール・マッカートニーはこのインタヴューで他にも、微笑ましい思い出を回想している。エリザベス女王について子供の頃、どう思っていたかについて話しながら、「僕たちが子供だった頃、彼女はすごい美人だったんだ」と語っている。

「僕たちは11歳ぐらいのガキでさ。当時、女王陛下は21歳ですごくきれいだった。スタイルも良かったしね」とポール・マッカートニーは語っている。「女王陛下に言うべきことじゃないけど、仲間同士でこう言ってたよ、『見ろよ。いい乳してんな!』ってね」

また今回のインタヴューで、彼は、自身の『引退説』を否定している。ポールは、多くのアーティストが引退すると、そのまま「燃え尽きて」しまうのをたくさん見てきたと言う。「家でゆっくりテレビでも見てろって? 庭いじりやゴルフなんて御免だね。でも、時々は思うよ『この年になったら、もう現役でいることにうんざりしてると思っていた。実際、そうなるべきなのかも』ってね」

「だけど、まだ曲を書いたり、歌ったりが楽しいんだ。これからどうしていこうかね?引退して、すぐに『枯れちゃう』奴らにはなりたくないしね」

ポール・マッカートニーは、今年、5月23日のロンドンのライヴで、ゲストにデイヴ・グロールを呼んで、”I Saw Her Standing There”を共演している。またこの時、自身の1980年の曲” Temporary Secretary”も初めてライヴで披露している。

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