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ザ・ロネッツのリーダーであるロニー・スペクターが亡くなった。享年78歳だった。

ロニー・スペクターは「短いガンとの闘病の末に」現地時間1月12日に亡くなった。オフィシャル・サイトには以下のように掲載されている。

「彼女は家族と共に、夫であるジョナサンの腕の中でなくなりました。ロニーは目を輝かせて、溌剌とした態度で、素晴らしいユーモアのセンスをもって笑顔を浮かばせながら生きていました。彼女は愛と感謝に溢れていました。彼女の喜び溢れるサウンド、遊び心、マジカルな存在感は彼女を知る人、彼女を見た人、彼女を聴いた人全員の中で生き続けるでしょう」

「花の代わりにロニーは地元にある女性のためのシェルターかアメリカン・インディアン・カレッジ・ファンドに寄付をしてほしいと望んでいました。ロニーの人生と音楽を讃える機会は今後発表されるでしょう。遺族のプライバシーに御配慮いただければと思います」

ロニー・スペクターは姉のエステル・ベネット、従兄弟のネドラ・タリーと共にニューヨークで1957年に元々はザ・ダーリン・シスターズというグループを結成している。1961年にロニー&ザ・リレイティヴス名義で数枚のシングルをコルピックスからリリースし、1963年にフィル・スペクターのフィリーズ・レコードと契約した時にザ・ロネッツに名前を替えている。

フィリーズ・レコードでの最初のリリースは“Be My Baby”で、初の全米トップ10ヒットとなり、最高位2位を記録している。続いて“Baby, I Love You”をリリースし、レーベルのコンピレーション『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』に参加している。

ザ・ロネッツは唯一のアルバム『プレゼンティング・ザ・ファビュラス・ロネッツ・フィーチャリング・ヴェロニカ』を1964年にリリースしている。ザ・ビートルズのツアーをサポートした後、1967年に解散するまでザ・ロネッツは散発的にシングルをリリースしている。

ロニー・スペクターはフィル・スペクターと離婚した後、1974年にエステル・ベネットとネドラ・タリーをチップ・フィールズとデニス・エドワーズに代えてザ・ロネッツを再結成させており、シングル“I Wish I Never Saw The Sun Shine”をリリースした後、再び解散している。

ロニー・スペクターはその後ソロとしてのキャリアを立ち上げ、1980年から2016年の間に4枚のアルバムと3枚のEPをリリースしている。初のソロ・アルバムをリリースするまでに1964年の“So Young”や1976年の“Paradise”など7枚のシングルもリリースしており、2006年発表のソロ・アルバム『ラスト・オブ・ザ・ロック・スターズ』ではパティ・スミス、ザ・ラカンターズ、ヤー・ヤー・ヤーズのニック・ジナーらとコラボレーションしている。2017年にはロニー・スペクター&ザ・ロネッツ名義でシングル“Love Power”をリリースしている。

ザ・ロネッツと共にロニー・スペクターは1999年にグラミー賞の殿堂に、2004年にヴォーカル・グループの殿堂に、2010年には『ピープル』誌のロックンロール・レジェンドの殿堂に入っている。

2007年にはザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズの紹介によってザ・ロネッツはロックの殿堂入りを果たしている。式典でロニー・スペクターとネドラ・タリーは“Baby, I Love You”、“Walking In The Rain”、“Be My Baby”を披露している。

ロニー・スペクターは1990年に自伝『ビー・マイ・ベイビー:ハウ・アイ・サヴァイヴド・マスカラ、ミニスカート&マッドネス・オア・マイ・ライフ・アズ・ア・ファビュラス・ロネット』を刊行している。本書はゼンデイヤがロニー・スペクターを演じる形で映画化される。

訃報を受けて追悼の声も寄せられており、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは次のように述べている。「ロニー・スペクターの訃報を聞いて、なんて言えばいいか分かりません。彼女の声が好きで、彼女は特別な人であり、親愛なる友人でした。ただ心が傷ついています。ロニーの音楽と精神は生き続けるでしょう。愛と慈悲を」

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